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しんみつまた駅【短編小説】

【文字数:2,400文字 = 本編 1,700 + あとがき 700】



  外に出ると街は夜だった。

 たしか自分は学生だったと思い出して家に帰ろうとする帰巣本能を働かせ、月もない夜空というより黒い天蓋に覆われたドームの中を歩き出す。空中で輝く人工的な照明が星となり、見上げたところで宇宙は遠いどころかどこにあるのかも分からない。

 人間が世界を作れるようになってずいぶん経ってなお、労働を作るのからは解放されないまま地上で生きるのは、ゆっくりと世界の空気が薄くなるようで、いつの間にか気を失ってしまいそうになる。

 ありえない妄想だと首を振って追い払えば、もうバスの中にいた。

 停留所というシステムが残るのは形だけだから、望めばどこからでもバスに乗れる。でも降りるときは停止ボタンを押さねばいけなくて、その目印として停留所は必要だった。

「つぎ、とまります」

 車内ではなく頭の中に響くアナウンス。しばらくすると自分より先に席を立った人がいて、その後ろについていくもバスが走り出して降りそびれた。開けっ放しの扉にかけておいた傘は取れないし、吹きこむ風が頬を打つ。大きな声で自動運転の運転席に呼びかけ、次で降りると伝える。

「ご乗車ありがとうございま」

 アナウンスが終わる前に走り出したバスは遠ざかり、街灯のない道が暗さを取り戻す。

 海沿いの倉庫街へ向かうような殺風景で生活感のない道を歩いていると、いつの間にか後ろからやってきた女性に追い越された。ベージュのトレンチコートに長い黒髪で、横顔どころか鼻先すら見えないまま距離が開き、そのずっと先からさっきのバスが戻ってくる。

 乗客のいない車内を見送って視線を戻すと、トレンチコートはどこにもいない。そもそも女性だったのかも自信がなくなってきた。

 しばらく歩いてバスの折り返し地点だと思われる、ドーナッツみたいな道路に着いた。停留所は見当たらないし、めぼしい建物もあたりにはない。ところどころ剥がれた舗装が転がるのは今までと一緒だし、仕方ないので来た道を戻ることにした。

 そのうち漂う照明が大きくなるのが分かり、2階建てのビルくらいの高さにあるらしい。

 近くまで来ると前にも来た東神奈川の駅だと気づく。現実とは異なる形をした夢の中の東神奈川駅。いつも利用しているわけでもないし、駅名を記した看板もないのに何故かそうだと知っている。

 マンション横の人が二人分くらいの細い上り坂を進み、駅のホームに辿り着いた。本来の出入口は別にあるけれど、腕を使ってホームによじのぼる。

 歩道橋の一部として作られたような駅には、周囲のビルより照明が降り注ぐのに暗い部分が消えることはない。

 やがて線路を走ってきたワンマン電車は小さくて、両手を広げたくらいの幅しかない。長さも同じく二人分なのに座席がある。架線はないのでディーゼル機関を積んでいるのかと思いきや、運転席すら見当たらないのでケーブルカーに近いだろうか。

 車両の真ん中にある乗車口の前で立ち止まり、天井寄りの壁に貼られた路線図を見て目的地に行くか確かめようとするも、目の前で扉が閉まった。

「あーあ」

 背後から聞こえた呆れ声に振り返るけれど誰もいない。別に不思議でもなんでもなく、いるところにはいるし、いないところにはいない、ただそれだけの話だった。

 新三俣駅。

 自分の行きたい駅を思い出し、ホームの端から線路を横切るスロープを目指し、そこに並ぶ人たちを見つける。列は右に下りる階段へと続き、しばらくすると列も下りたので後に続く。

 やはり人が二人分くらいの階段を降り切ると別のホームがあって、そこには多くの人がいた。屋根すらない上とは別の路線なのかもしれない。

 目指す電車は1つ向こうだと気づいて線路に下り、大人の背丈より少し高いくらいの壁に腕を伸ばし、向かいのホームによじ上る。連絡用の通路がないから仕方ない。さらに行った先へ電車がやって来た。

 バスよりすこし大きいくらいで、やっぱりケーブルカーみたく運転席がない。座席は乗客でほぼ埋まり、ちゃんと人間だと分かる見た目をしている。

 扉が閉まって電車が走り出した。

 でも私は新三俣駅に行ったことがないし、その駅は戦後になくなっているのだけど。


 了



 あとがき 

 まっとうな創作をここ最近ずっとできていなくて、息抜きがてら少し前にみた夢に補足しつつ、短編小説としてみました。

 ネット発祥の都市伝説として「きさらぎ駅」というのがありますけれど、残念ながら「新三俣」は過去に存在した静岡県の駅です。

 ただし私が生まれるより前に廃止されており、静岡に縁があるわけでもなく、なぜここが目的地だと思ったのか不明です。

 夢なので駅ホームの下に別のホームがあり、道路とかどうなってるんだとツッコミどころも多いですが、ちゃんと電車に乗れたので終わりよければ、ということで。


 そもそも電車よりバスを使うことが多く、次いで自転車バイクですから縁が薄いくせに、乗ったときは乗客をそれとなく観察しています。

 とはいえスマートフォンに目を向ける人が多いですから、あからさまな視線の向け方をしなければ気づかれません。

 服装のバランスや重視してそうなポイントを考えつつ、年代や小物などから性格を推測したりします。気持ち悪いですね。

 バスよりも「運ばれている」という感覚が強いのか、そうでもしないと落ち着かないのもありますし、移動中に画面みてると気持ち悪くなるもので。子供の頃よく車酔いして親に怒られましたが、それもちょっと関係あるのやも。


 夢の記録をしていると聞くや「早死にする」とか言われたことがあるのですが、鎌倉時代の明恵上人みょうえしょうにんという仏僧は、19歳から夢をひたすら書きとめ続けたそうな。

 宗教家になりたいわけでもないですけれど、願ってもいないのに見る夢を何かしらに活かせたらという貧乏性なもので、スマートフォンのメモ帳が増えていくばかりです。

 仕事場と家を往復する他は、たまにツーリングに出るくらいの生活なのも、おそらく関係あるのかもしれませんが。

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