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リリカル・スペリオリティ! リヴァイブ! 1/2《短編小説》

【文字数:約4,000文字】

※ 本作は おかゆ さんによる創作大賞2023、イラストストーリー部門への出品作『リリカル・スペリオリティ!』を原作とした2次創作です。

※ 原作を未読でも読めると思います。



  新年度の始まりに校長の退屈な話が冷や水を浴びせ、生徒たちは心の風邪をひいてしまう。

 そう思っていた時期が私にもありました。

 わりと使い回された内容を校長が話し、壇上の後ろで控える先生たちの緊張をほぐす。そのうち視線でもって「用意はいいですか」と聞かれ、私をふくめた数人が小さく頷いた。

「では新任の先生を紹介します……今井桜先生」
「はいっ!」

 あの年の梅雨の終わりから10年近くが経ち、ひょろひょろの枯れ枝みたいだった私は立派に成長した。もちろん内面的な意味で。

 大股になり過ぎないよう、それでいて臆病だと思われない歩幅で演台に近づき、校長と入れ替わる形でマイクの前に立つ。たくさんの瞳を投げつけられ、そこには期待とは異なるネガティブなものも混じっている。

 私もその中の1人だったから分かる。だからここは1発かましてやろうと決めていた。

「みなさん、はじめまして! 私は今井桜といいます! 担当は英語です!」

 音割れが起こりそうなほどの大音量が体育館を震わせ、うららかな陽気に誘われ眠そうだった生徒も驚いて、冷や水を浴びせられたように両目を開く。

「今から歌います! 聞いてください、アメイジング・グレイス」

 何度か息を吸って呼吸を整え、おそらく誰もが1度は耳にしたことのある名曲を歌い出す。声楽科のある大学に通っていたわけではないけれど、学内にチャペルのあるミッション系だったから、そこで歌う聖歌隊に4年間在籍していた。

 卒業式でのラスト公演は今でも動画サイトで再生数を伸ばし続けているらしく、たまに在校生の指導を任されている。

 それでも楽器による伴奏のない完全なアカペラは、リズムや声の高さをごまかせない、たった1人だけの戦いだ。でも、違う。私にはあの人がいる。この学校で出会い、私を救い、そして消えてしまったあの人が一緒にいる。

「……Amazing grace ,
 how sweet the sound ,
 That saved a wretch like me……」

 目の前の生徒たちだけでなく、私を救ってくれたあの人に届くよう、私は静かに熱唱した。 

 ◇

 「あっはっはっはっ! いやー、まさか着任早々で怒られるなんて、お姉ちゃん笑いが止まんないよ!」
「……生徒たちには大好評だったもん」
「もしウケてなかったらそれこそ大恥だよね! いばらの道を自ら行くなんて、とんだマゾだよ!」

 職員室の机に突っ伏した私を笑うのは今井先生で、下の名前は楓という。姉妹そろって母校に着任するミラクルもあって、昨日の夜に歌うことを思いついた。

 その結果さっきまで温和な校長を左に、右は厳格な教頭との間に挟まれ、初日から熱烈なアメとムチを浴びることになった。

「あの、今井先生」
「「はい?」」

 呼びかけに私と姉の2人が反応し、まったく同じタイミングで顔を見合わせる。

「ええと……妹さん、桜先生のほうで……」

 遠慮がちに声をかけてきたのは浦河先生で、私と共に今年着任した同僚だ。体の線が細く眼鏡をかけており、担当科目が美術だと言われても違和感がない。

「廊下にサインして欲しいって生徒が来てるんですが……」
「ええ? まだ授業も始まってないのにですか?」

 首を傾げた私を見て、ふたたび姉が笑い出す。

「ははっ、そっちじゃなくて芸能人とかアイドルがするサインだよ。あー、おかしい」
「いやいやまさか……」

 同意を得るべく浦河に訊ねたら、「カッコカワいいヤツが希望だそうです」とファンからの要望を伝えられる。

 さんざん人前に出て歌ってきたから度胸はあるつもりだけど、確認のための署名とは異なるサインなんて、これまでの人生において一度も書いたことがない。

「Sakura Imaiだから、Sakuraを円にしてImaiを……」

 試験前に記憶を失った人のように慌てる私を見ても、姉は決してアドバイスをしてくれない。担当が体育だし、そっち方面は苦手なのだろう。

 もう観念して単純シンプルな2列にすればいいやと投げやりになっていたら、まるで彫像のように静かだった人間が救いの手を差し伸べた。

「……こんなのはどうでしょう?」

 浦河先生は手近にあったコピー用紙とペンを持ち、

「10年くらい前に『あくまちゃん』というのが流行ってまして、今そのリヴァイバルが起きてるらしいんです。よし、これで……」

 紙の上で軽やかに踊っていたペンが離れると、そこにはイニシャルとなるSとIに尖った羽が生えたようなサインが生まれていた。

「見た目が可愛くて華やかさもあるから、今の子たちにもウケると思いま……って、桜先生!?」

 浦河が驚くのも無理はない。私は泣いていた。ぽろぽろ、では足りない号泣レベルの涙が頬を伝い、サインの描かれたコピー用紙を濡らしていく。

「あのっ、すいません! 何かお気に障られたのでしょうか……?」
「あ、うぅ、ああ……」

 まるで喉が干上がってしまったかのように声を出せずにいたら、そうなってしまった理由を知る姉が、どこか遠くを見ながら答えてくれる。

「まだ私たちがこの学校、上野桜丘高校に通ってたときに……ちょっとね」 

 ◇ 


 私が上野桜丘高校1年生、姉が2年生だった梅雨の頃、ちょっとした事件があった。

 生徒たちによる投票でミスコン、ミスターコンを選ぶ「毎日応援制度」をきっかけにして、多くの生徒がおかしくなった。

 そこには私たちも含まれており、いきなり姉は留学したいと言い出して先生を困らせた。そして自分には勉強しかないと思っていた私は、校舎の屋上から飛び降りようとして、本当に落ちてしまう。

 だけどこうして生きている。

 今でもあんまり信じられないけれど、美術の鈴木先生には消防士の友人がいて、下にマットを敷くよう大急ぎで準備してくれたらしい。事件からしばらく経って、緊急時とはいえ私的に消防士を呼んだ責任を取り、鈴木先生は別の学校に移ってしまった。

 でもそれで解決していたなら私は教師になっていないし、そもそもここにはいない。

 屋上の高さから落ちると重力加速度により、地面へ着く頃にはそれなりの速度になっている。物体のエネルギーは質量と速度に比例するから、あんな薄いマットだけで無事なはずがない。

 落ちた私を抱き寄せ、助けてくれたのは「佐藤リリカ」という名前のクラスメイトだ。彼女は私を助けた直後に姿を消してしまい、後で聞いた話によれば重傷だったので病院へ搬送され、入院してそのまま亡くなったらしい。

 葬儀が行われることもなく、文字通りクラスメイトが消えてみんな混乱していたけれど、佐藤リリカが死んだなんて私は信じない。

 だって彼女は最後にすこしだけ、自分のこと、自分たちのしたことを話してくれた。さよならって別れの言葉を残して1つだけ、この世界に忘れ物をした。

 上野桜丘高校には有名な桜の樹がある。

 だいたいの学校に桜は植えられているけれど、それは1枚の葉もない枯れた状態でありながら、切り倒そうとすると様々な理由で作業員がケガをしたり、チェーンソーを当てた途端に刃が切れてしまったりで、長く呪いの樹として放置されている。

 その樹が枯れる前は、梅雨でも緑の葉ではなく薄桃色の花を咲かせていたこともあって、誰かが灰を振りかければふたたび花が咲くと噂して、試そうとした誰かが度々ケガをしている。

 私はその樹が佐藤リリカの、リリカちゃんの忘れ物だと信じている。

 なぜなら彼女が消えたのと同時に桜は枯れたのだから。 

 ◇

  教師は授業をする以外にもクラス担任としての役目があり、他にも保護者対応や部活指導に追われて日々が過ぎていく。

 5月のある日の昼下がり、屋上から桜並木の中にあって葉が1枚もない樹を眺めていたら、ごごんと重たい音がして振り向いた。

 屋上と校舎内をつなぐ扉が開かれ、そこに立っていた1人の女子生徒と目が合う。制服の胸元を飾るリボンタイの色からして1年生だけど、担当している学年が違うのでクラスまでは分からない。

 でも私は、その女子生徒が瞳に宿した色を知っている。

 光のない夜を溶かして煮つめたような不穏の色が、どこでもいい、ここではないどこかに行きたいと、悲痛な叫び声を上げながら揺れている。

「あ、すいません……!」

 こちらに気づいた女子生徒が踵を返し、逃げてきたはずの校舎内に戻ろうとする。そっちに行っちゃダメと言いかけ、

「よければ先生と話さない?」

 どうにか落ち着いた声音を出すことができた。すると何かで撃たれたように生徒は立ち止まり、しばしの沈黙の後で、ゆっくりとこちらを向いた。

「……いいんですか?」

 怯えきった表情は触れ方を間違えれば壊れてしまいそうで、慎重に、かつ丁寧に言葉を紡ぐ。

「先生もここの生徒だったとき、この場所に来たことがあるんだ」
「え……」

 引きつるように息を吸い、驚きの後に安堵のため息がやって来る。そっと私は手を伸ばし、見えるはずのない相手の心に触れる。

「先生は自分に何もないと思ってた。だけど何者かになりたかった。そんな私に友だちが言ってくれたの」

 桜ちゃんは何者かになるんじゃなくて、もう既に、たった一人の桜ちゃんなんだよ。

 いつかの言葉を目の前の生徒にも分け与え、私自身の祈りを添える。

「あなたは色々なものから逃げたかったのかもしれないけれど、それと同じくらい助けて欲しいって思ってる。私にはそれができるから、安心して。あなたは……私だもの」

 生徒に伸ばしていた手を自分の胸に当てると、ぼうっとしていた生徒の瞳から、透明な真珠が生まれ落ちる。

 それらはついさっきまで彼女を痛めつけ、やがては殺す恐ろしい腫瘍だった。けれども外に出れば真珠となり、大気に触れて空へ溶けていく。

「もう大丈夫、ちょっと頼りないかもしれないけど先生に話してみて」

 語りかけながら一歩、また一歩と距離を詰め、体の内にある心のように柔らかな髪を撫でた。

 ねぇ、リリカちゃん。私は今、あなたと過ごした学校で先生をしているよ。


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