( ∵ )コンニチワ
【文字数:約1,500文字】
第10回となった「おたからさがし」は危険な香り漂うキノコではなく、原点に戻るような形で石を特集する。
菌の塊みたいなキノコと、地球の欠片とも言える石は成り立ちからして異なるけれど、ともに良さを見出すからこそ記事にしているわけで。
そうした物質の向こうに何かを見出す能力は、おそらく人間だけが自在に操ることのできる、想像力と呼ばれるものだ。
◇
フォローしている方が先日、いつも行く石屋で強く惹かれる石に出会ったそうな。
いきつけの石屋があるというのが、何やらカッコよく思えるのは私だけだろうか。
「マスター、今日いいのはあるかい?」
「オレの所にあるのは、いつだっていいやつさ」
「それは知ってるけどな、目利きのマスターでも譲りたくないのはあるだろう?」
「こちとら商売でやってるんだ。商品に愛着なんてねぇよ」
「……あるだろ? それを手に入れるために店を1週間休んだじゃないか」
「体調を崩しただけだ。店先に貼ってあったろうが」
「あの貼り紙はマスターの筆跡じゃなかった」
「……知り合いに書いてもらったんだ」
…………
終わりが見えないから締めにするけれど、そんな想像をしつつ先の記事を拝読した。
石は興味のない人からすれば価値のない石ころに過ぎず、そんなものにお金を出すなんてバカげていると言われかねない。
けれども人は特定の石を「宝石」と呼んで珍重し、磨き上げ、金属などと組み合わせた宝飾品を作り出している。
食べられるわけでもなく、ただ身に着けるだけの「飾り」であるものに数千、数億といった値がつくのは、それだけの価値があると認めているからだ。
価値を認める人数に違いはあれど、自分1人が認めるだけでも石ころは「宝石」になり得ると私は思う。
◇
前置きが長くなってしまった。
ヘッダー画像にしたのは水晶っぽい石で、マーブル模様とはいかないものの、散りばめられたピンクが美しい。
表面にできた傷や穴からは粒状の中身が分かり、持ちながら動かすだけで光がランダムに反射して、なかなかどーして見飽きない。
さらに眺め続けていると3つの点が人の顔に見える、シミュラクラ現象によってヘッダー画像も顔に見えてくるのではないだろうか。
角度や光の当て方を工夫すれば、じつに様々な表情を見せてくれる。
すべて言ったもん勝ちだし、まったくもって気のせいに過ぎない。
石に向かって話しかけ始めたら精神不調の前触れかもしれず、くれぐれも皆様は話しかけないことをオススメする。
◇
お次は海岸で拾ったのか不明ながら、所有している中で特に気に入っているものの1つだ。
ガラス瓶が割れて削られたものなら、表面がざらついていたりするけれど、これは全体がつるつると滑らかになっている。
表面の違いもさることながら、向きによって光の透過率が異なっているのが面白い。
不透明な青緑色ならトルコ石、またの名をターコイズが考えられるけれど、これには透明に近い部分がある。
ただのガラスだとしても溶融したSiO2、シリカが光を透過するだろうし、向きによって遮光される理由が分からない。
鑑定のできる場所に持っていけば分かるかもしれないけれど、よく分からないキレイな石、という認識でも構わない。
これに価値を見出したのは私自身だし、たまに眺めると嫌なことを忘れられるのに、金額がついたら目の前にそれがちらついてしまう。
お金なしでは生きられない現代人にとって、たぶんそれは不幸なことに思えるのだった。
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?