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家事・育児系

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#生き方

主夫10年、夫婦のカタチ

「主夫」という言葉が、まだ珍しかった頃。私は、妻の単身赴任をきっかけに、家事・育児を担う「主夫」になりました。当初は戸惑いもありましたが、10年以上経った今では、この生活スタイルがすっかり定着しています。 このエッセイでは、主夫として過ごしてきた10年間を振り返りながら、私が経験した喜びや苦労、そして変化した夫婦のカタチについてお話ししたいと思います。 ✅ワンオペ育児の現実主夫としてまず直面したのは、家事と育児の両立の難しさでした。特に、妻が不在の平日は、まさに「ワンオペ

自分が倒れたら詰む「ワンオペ育児」

妻があるとき、会社の役員になった時期がありました。 けれど、それは引き換えに今住んでいる場所から通勤出来ない場所への転勤が条件でした。 通常なら、妻が2人の子供達を連れていく感じになると思うが、当時我が家は新築の家を建築中でそこをわたし1人で住むのはちょっと……という状態だった。 ✅10年間ワンオペその妻の異動から、わたしのワンオペ育児がスタートしました。 妻の異動が決まってから、数週間、わたしは妻の特訓を受けて、いままで出来なかった家事も出来る様に妻から訓練されました。

大人な子供たちとわたし

現在、上の子の娘は22歳、下の息子は18歳。 法的には2人とも選挙権がある大人なんですよね。 あの子達が15歳の頃から、大人として扱ってきたので、寂しさとかは全然有りません。 自分たちの人生を楽しんでる事を、時々報告もらえるだけでもわたしは嬉しいんですよ。 ✅自分の子だけど大人自分の子供を大人として考えられる様になったのには、実は下地があります。 それは、わたしの原家族の家族関係があまり上手く行ってなかったこと。 その原因がもとで、心に傷を負った人がなる生き辛さを

父になった日

まず、わたしはモテるような人間ではありませんでした。 今の妻を除いて、そんな恋愛関係になるようなシチュエーションがほとんど経験していません。 つまり、妻との出会いが奇跡だったと今では思っています。 そんなわたしでも、父になれて、子供を育てるという事を経験できました。 ✅初めての妊娠ある日、妻から告げられました。 妊娠したかもと。 その時の気持ちは、世の中にはそんなシーンを味わった人は沢山いるだろうし、ドラマでも見るなぐらいのちょっと遠い世界でした。 けれど、今目

親になっても個人として楽しむ

わたしは、過去にワンオペ育児、フルタイムで仕事、PTA役員を同時にやっていた過酷な時期がありました。 ワンオペ育児になったのは妻が単身赴任でいなかったからでしたが、一人でこなすという貴重な体験ができたので今では感謝しています。 どうして、こんな過酷な状況の乗り越えられたのか、自分的に分析してみました。 ✅重要:自分の時間いくら親になったからと言って、自分のパーソナリティが急激に変わるわけではなく、家事、育児にどうしても疲弊してしまうことがあります。 そんな時、心を保っ

備えが大事

備えというと、災害に備えて、防災袋を作るとか、そういうのを思い浮かべるかもしれません。 でも、もっと頻繁に起こって、しかもこの現象にも備えが必要だという事を意識している人は少ないかもしれません。 けれど、わたしが実際に子育てをしてみて、よく体験したのが、自分の体調不良や、家族の体調不良です。 ✅体調不良に備える普段、あなたが家庭を回しているとすると、自分のやり方っていうもので、家庭が回っているハズです。 診察券がどこあって、洗濯をするサイクル、食料の買い出しのサイクル

胃袋の記憶

母の思い出というと、いろいろありますよね。 でも、その1つのジャンルの中に、必ず入ってくるのが、母が作ってくれた料理の事だったりします。 そんなわたしの胃袋の記憶、そしてそれをどうわたしが受け継いだのかを考えてみます。 ✅母が料理をするまでうちは元々大農家の家柄で、父の代までは、住み込みのお手伝いさんがいるほどだったと聞いています。 母の姉妹である叔母たちに聞くと、うちに嫁入りすることはあまり好ましく思ってなかったそうです。 けれど、わたしの想像では、母は父と恋をし

親の背中ってなんだろう?

昨日、わたしと近い年齢の女性の方とZoomでお話する機械を得ました。 境遇もわたしと似ていて、原家族に問題があった方でした。 そのお話を聞いて、わたしの体験を重ねると親の背中って何かな?って考えたくなりました。 ✅完ぺきな親が苦しいわたしの親は、ある意味では完ぺきな親でした。 父親は名のある地主の長男としてうまれ、父の代までは家に住み込みのお手伝いさんがいるほど。 母親も優しく、キレイな人でした。 けれど、その完ぺきさを保つ為には今では想像出来るのですが、かなりの

仕事とプライベートのバランス

これはわたしの場合であって全ての人に当てはまる訳ではありません。 過去、ワンオペ育児をするのに当たって注意してきた事を思い出しながら書いてみます。 当時のわたしは、妻の単身赴任で、小学二年生の娘、保育園年中の息子を一人で見る生活でした。 ✅仕事妻の単身赴任がきまってから、すぐに上司にわたしが家事を担う事になったこと、ほぼ定時で帰らなくては行けない事を説明しました。 けれど仕事には支障がでない様に、今まで何となくやっていた作業を全て見直し、効率的に終わらせる様に仕組み化

もちろん違うけど、辿る道は近い

わたしの子供たちは、もうかなり大きくなって、上の子は既に21歳になっていて、下の子でさえ17歳になっています。 そうやって彼らの生き方を見ていると、確かに時代が違うし、わたしの子供の頃とは全然生活スタイルは違ってはいます。 けれど、何となくですが、生きている感覚は親子で似てるもんだなぁって、二人の子供達を見て思っています。 ✅持論:【自分】と言うものは中学時代に確立するわたしの人生を振り返っても、基本の考え方、生き方の方向性は中学時代に作られると実感しています。 これ

料理をするようになって驚いた事

結婚して、妻の仕事が忙しかったので、少しずつ家事をするようになっていきました。 新婚当初はアパートに二人暮らしをして、会社とアパートが近かったわたしは、夕食の食材のお買い物を担当していました。 この頃は、まだ料理をするまではいかなくて、お買い物して、妻の帰りを待つぐらいの人でした。 ✅妻の転職、子供が生まれてからこの時期になると妻も夜勤がある仕事に変わり、しかも長女も生まれていたから、育児も始まっていました。 この頃から、妻が夜勤の時は、ワンオペ育児をするようになって

ゆでたまごの茹で方

実はわたしはゆでたまごが大好きなんです。 子供の頃は、ばあちゃんに茹でてもらったゆでたまごを食べておやつ代わりにしていました。 そのうち大きくなってくると自分でゆでたまごを作る様になっていきました。 ✅か、殻が剥けないだと……!自分でゆでたまごを作ってみると、意外とめちゃくちゃ難しい事がわかりました。 特に黄身の固め方がなかなか思い通りに行かなくて、かた茹でにしたいときに黄身が半熟になったり。 一番困ったのが殻がうまく剥けない事でした。 あれって、後で分かる事です

育児をする理由

わたしは、恵まれた事に、この年代にしては珍しく、育児にフルコミットした十数年間を送る事ができました。 なので、わたしが、奮闘していた姿をわたしの子供達も見ているだろうし、現にいまでも、子供達といつでも会話ができる関係になれています。 でも、自分が子供の頃だと、男性は育児にまったく参加せずに終わってしまう事が多かったので、そのギャップを考えて見たいと思います。 ✅人生の基礎まず、そもそも育児って何かなって考えた時、その子の人生の基礎を作って行く作業なんだなぁって思います。

鍋の季節裏事情

わたしも以前から主夫業を頑張っていた時には、冬になるとかなりの鍋率になっていました。 鍋の何がいいかというと、材料を切って鍋のスープの素で、煮るだけで、夕飯が成立してしまう事。 最近ではしめのバリエーションも多彩になってきているので、ちょっとしたごちそう感も出るところも主夫からすると魅力です。 ✅妻は始め鍋批判的立場だったわたしが主夫をしていて妻が単身赴任時代には、土日に妻が帰って来るのがいつものルーティンでした。 なので、土日は、わたしの料理を妻に振る舞っていました