国語力について思った雑感

Twitterで話題のごんぎつねと国語力。

思うところがあったので自分の思考記録と愚痴を兼ねてメモとして残す。

まぁ色々あるんだけれど個人的には子供……自分が知っている範囲だと小〜中学生の思考力、言語化の能力ってのは厳しい面があるのが事実だと思う。

正直生きるために必要な国語力とまでいくと、それはそれで行き過ぎかなとも思う。けれど、知らず知らずのうちに人生上手く生きれるかどうかのコミュニケーションに支障が出るほど、その能力差が子供たちにはある気がする。

それは昔の慣習を知ってるとか知らないとか、知らないからしょうがないとか、子供の思考力を馬鹿にするなとかそれ以前の問題じゃないかな。(あの記事が最初にキャッチーな具体例をいくつか持ってきてしまったせいもあるけれど、重箱の隅をつつくような非本質的に感じてしまうツイートが多くて悲しくなる。そのまま現代社会における国語力が低下してきた結果をまじまじと見せつけられている気分だった)

個人的には子供の思考力や言語化の能力を自然と育つもんとか、無垢で自由な発想、無知ならそこから育めばいいみたいな意見が多いことが良くも悪くもイノセントな期待をまだまだ世界に抱けてる人が多いんだなって思った。

でも子供の思考力や言語化の能力は0から生まれない。少なからず僕はそう思う。

対話があって、文章があって、色んな経験の積み重ねがあって、そこで思考力や言語化能力は生まれる。

それはすごく複雑で、時間や労力やお金が絡んできて、単純なことじゃないと思う。

なのにそういった問題をいたずらな感情でやりすぎなくらい単純化してしまったり、下手な具体例に得意げにチャチャいれてしまったり。

そうして、難しいことを理解しようともせず、自分のわかる範囲まで矮小に単純化して、感情の発露に言葉の皮を被せた行為を思考の表出だと思っているのだとしたら、その報いを受けるのは子供たちであるような気がしてならなかった。

そんな被害妄想を抱いてしまってなんだかなぁというのが僕の感想でした。

おわり

人の金で焼肉を食べるのが夢です。