見出し画像

ばあちゃんが見た海

先日、3年ぶりに父方祖母に再会した。

仕事の忙しさに加えてコロナの流行もあり、
久しく顔を合わせていなかった祖母は
記憶の中の姿よりも小さく見えた。

私の顔を見ると嬉しそうに近づいてきて、
変わらない広島弁で、おもむろに話し始めた。

「ばあちゃん、若い頃は、
 年寄りは嘘ばかりつくと思いよったんよ」

意外だった。

幼い頃はしっかり者で優しいばあちゃん。
思春期には、片付けが苦手でマイペースな
ばあちゃんの人間らしさが見えてきた。
大人になり、ばあちゃんが生活のために
色々な我慢をしてきたことを知った。
大変な苦労をあっけらかんと話す姿は素敵で、
その根性と聡明さを私は尊敬している。

20年前には老人ホームでボランティアをするなど
積極的にお年寄りに関わっていた祖母が
「お年寄りは嘘ばかりつく」と思ってたとは。
知らなかったばあちゃんを、またひとつ知った。

「でもね、自分が年取って分かった。
 お年寄りにとっては本当じゃったんじゃね。」

見た目もすっかり"お婆さん"らしくなった祖母。
きっと、己に老いを感じる瞬間があるのだろう。
私は少し切ない気持ちになりながら
話の続きを待った。

「この間、スーパーに買い物に行ったんよ。
 ヘルパーさんが運転してくれて、
 屋上に車を停めて。

 そしたら、そこから海が見えたんよ。 

 穏やかな凪でね。
 ヘルパーさんにも見てみてと声をかけたんよ。

 そしたらヘルパーさんは
 『海なんてここからは見えんよ』
 なんて言うんよ。

 確かに、その場所からは
 海が見えるはずないんよ。

 でもね、ばあちゃんには本当に
 とても穏やかな凪の海が見えとったんよ。」

涙が出そうになった。
祖母の目に映る景色は、本当に海だったのだ。
たとえ、その場所に海がないことを知っていても
目の前にあるのだから本人には真実だ。

ああ、これが祖母の言う
「お年寄りにとっての本当」なのか。

しっかりしていると思っていた祖母の認知機能が
思いのほか下がっていたことに驚きつつも、
その齟齬を認識出来ている聡明さを
誇らしく感じた。

私が言葉を失っていると、祖母が口を開いた。

「それでもばあちゃんには海が見えるけえ、
 ヘルパーさんにもよう見てみんさいと
 一緒に海の見える方へ近づいたんよ。




 コンクリートの壁じゃった。」




ばあちゃん、今すぐ眼科に行ってくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?