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父のこと

 30年間で初めて、父の日に自分から電話をした。

 うちの父は仕事が忙しく、物心ついたころには深夜帰宅し早朝に出勤する生活を送り、中学以降は単身赴任で遠方に住んでいたため、接する機会が多い方ではなかった。
 家にいないのが当たり前すぎて、一緒に住んでいたと思っていた時期も、実は単身赴任をしていた期間があったらしい。最近知って驚いた。

 そんな中でも、父に関する思い出はある。
 印象に残っているのが、日曜の早朝に妹と連れられて行った釣りである。私は赤色、妹は黄色の子供用の釣り竿をそれぞれ買い与えられ、ミミズみたいな虫を自分で針に付けるよう指導され、3人並んで魚が餌にかかるのを待った。小学生でへたくそだったので、娘二人は小さいフグしか釣れず、早々に飽きてその辺の岩場にいる貝を引っぺがして遊んでいた。父との釣りは正直退屈だったが、当時滅多に行くことのなかったコンビニで、朝ごはんとして買い与えられたサンドイッチを食べながら潮風に当たるのは、「悪くないな」と子供心に感じていた。
 娘たちと過ごすとき、父がどのような眼差しを向けていたのかは記憶にない。

 小学校時代のとある日に事件は起こった。
 父の不貞が発覚し、母は大激怒。小学生の娘二人を置いて県外にある実家に帰ったのだ。
 残された父は娘の面倒を見るだろうという母の見込みは外れ、父は我々を置いて仕事に行った。電話でそのことを知った母は、父へのストライキを諦め自宅に戻ってきた。

 その頃からだろうか、母から父の愚痴を聞かされるようになった。
 子供だったので素直に母の言葉を信じ、父は母を傷つけるだらしのない人なのだという印象を持ったまま思春期に突入した。
 父は単身赴任中だったため、顔を合わせる機会はあまりなかったが、たまに家に来ると娘二人を焼肉に連れて行った。母は父が家に来ると自室に引きこもっていたため、一緒に食事をすることはなかった。
 父への嫌悪感や、父と焼肉に行くことに対する母への罪悪感があり、私はむすっとしながら食事をしていたと思う。一方で妹は父と気が合うようで、すくすくとパパっ子に成長した。

 思春期が終わる頃には、小学生の娘に父の不貞を愚痴ってしまう母もなかなかにヤバイ人ということに気づき、とはいえ父への嫌悪感はぬぐいきれず、大学受験の際にはとにかく家を出たいという一心で勉強した。
 高校の卒業式では卒業生代表で答辞を読んだのだが、みんなの気持ちを代表して述べる責任感で、両親への感謝の言葉を綴った。
「まあ、みんなこういうの欲しがってるやろ」くらいの気持ちで書き足した両親への感謝だったが、いざ自分で声に出すと、不思議とこみ上げてくるものがあった。それが何故なのか、当時の私には分からなかった。

 大学入学してからは、奨学金と父からの仕送りで生活した。その頃には父とどのように接していいかすっかり分からなくなっていたため、父と会うときには必ず妹を道連れにした。自分から連絡をよこさない不機嫌な娘に対し、決して少なくない額の仕送りをどのような気持ちでしていたのだろうと、今になって考える。

 社会人になって、父も大変だったんだろうなと素直に思えるようになった。それは、私自身が働く大変さを知ったからというよりは、同僚や上司たちが父親として何を考えているか聞く機会が増えたからだと思う。自分が父に対してしてきた態度はきっと父に寂しい思いをさせていただろうとようやく気付き、会った時には普通にしゃべるように心がけるようになったが、やっぱりいまだに少し緊張する。そして、それは父も同じであるのは薄々感じられる。

 今、働く父親たちと一緒に仕事をするようになって思うのは、うちの父は結構不器用なのだろう。うまいこと嘘を隠し通すことができるタイプではなく、かといって生じた問題に正面から向き合うこともできず、面倒ごとから距離を置くことで自分を守っているのだ。人の気持ちは分かるし思いやりもある人なのだと思うが、人をからかったり冗談を言ったりすることでコミュニケーションを取ろうとするので厄介さが増す。そういう厄介な人間、他人だったら嫌いじゃないなとも思う。
 
 未だに父のことを素直に好きとは言えないし、安心感など微塵も感じない。ただ、昨年冬に父方祖母が亡くなって寂しいんじゃないかとか、今年で定年だけど仕事が無くなった父はどうなるんだろうとか、思いを馳せることが増えた。
 父の日にたまたま読んだ漫画で、登場人物とその父親との関係が深堀りされているのを見て、「まあ、電話くらいしてやるか」と思えるくらいにはなった自分に、30年という年月を感じた。






 父は超ヘビースモーカーで、朝トイレでうんこしながら煙草を吸い、新聞を読む習慣があった。直後のトイレが臭すぎて、妹とどちらが先にそのトイレを使うか、押し付け合いの喧嘩をしていた。
 あれがなかったら、あと3年は早く父の日できてたかもしれない。


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