見出し画像

呼吸と土台

ここ数ヶ月の間、早朝の静かな時間にじっくり呼吸と向き合うことを楽しんでいる。
呼吸を深めているいちばんの目的は『毎日を最高の状態で生きる』こと。
なんてことのないフツーの日常を最高の一日にしていくこと。
授かったこの器の可能性を知りたいという思いもあって、早起きしては勤しんでいる。

わたしにとっての幸せってなんだろうと問うたとき、心配や恐れや不安のない、自由な心とカラダを生きること。まずはシンプルにそこができたらなと思っている。

生きていれば目の前にはいろいろな事が起こるし、自分に足りないものを探すことも容易だし、思うようにいかないこともたくさんたくさんあるもの。
不足感というトリックにひっかかることもあるし、周りの出来事に揺さぶられるようなこともある。だからこそ、その状況の中で自分にとって心地いいものを選択していくことを求めるのだろう。

世界には様々な波動が行き交っていて、揺れが当たり前。
揺さぶるものを風と例えるなら 自分という木が容易く倒れないように、安定した根っこを土の中に深く張り巡らせていけばいい。
土台の状態次第で、わたしたちの真ん中の軸が決まってくるのでしょう。

呼吸をうまく使えるようになると、細胞の隅々にも脳の隅々にもそして光体にも、電磁エネルギーが行き渡っていく。
意識的にならないとなかなか氣づきもしないのだけれど、日常的にわたし達は自分で陰と陽の力を動かし続けているのだ。
生まれてきてからずーっと無意識に近い状態で使ってきたけれど、これこそ人体が持つ立派なテクノロジー!今さらながら体感してくると、感動!
揺らいでもすぐに元の戻っていける土台作りにはなくてはならない相棒でもある。

この記事をちょこちょこ書いていた昨日、お迎えまでのほんの少しの合間に会ったKちゃんの話からも土台という話題が出てきた。
Kちゃん「子育てでわたしたちができることはほんの少ししかないよね。教育の選択とサポート、その土台さえあればなんとかなっていくと思う」
「それと食事くらいだよね」とわたしが付け足した。

わたしとKちゃんの家の子どもたちは、公立の学校に行く選択をしていない。その中で親ができることは唯一子どもたちの感性をまずは信頼しきること。だと思っていて、一般的に遅れをとっているからとかそんな不安はそこを生きてきた大人達の勝手な概念。
親子とはいえ他者でもあるわたし達の狭い視野から、彼らの可能性を潰さないように、そっと、そっと土台のサポートになるように、スーハースーハーと息のように空氣のような存在として支えて行けたらいいなと思っている。


そして本題の呼吸ですが、ヴェーダの古典に残っている根源的なものと向き合っている真っ最中。
変容のあったり新しい出逢いもあったり。
そこの話はまたゆっくり書いていきたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?