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同業他社に転職をするということ

喉元過ぎれば熱さ忘れる。

昨年3月に、6年勤めた会社を辞めて、同業他社に転職をした。
私の業界(出版)ではヨコの異動はよくあることだし、そもそもこのご時世、会社をかわるなんて珍しくもなんともないことではあるが、それでも個人的にはなかなかにシビアな意思決定ではあった。

なぜ会社を移ろうと思ったのか、この一年間でも徐々に記憶が捏造されていっている気配を感じる。年が明けてもなお、過ぎたことを考えているのも我ながらねちっこいなあとは思いながら、現状の自分を記録する意味でこうして書いている。

私は経験者採用だったので、仕事内容は転職前後でまったく変わらなかった。では何故に前職を辞めたのかという質問を、去年は300回くらい受けた。
普段は「新しい環境でチャレンジしたくなったので」と答えている。その気持ちも嘘ではないし、受け入れてくれた方々には本当に感謝をしている。

本音を漏らしてしまうと、環境に、ちょっと限界を感じた瞬間があった。
”いま現在の”私の見立てでは、「単純に合わなかった」が半分、「あれは、いわゆるハラスメントだったね」が半分。

で、その裏側には、「結局、私に隙があったのだ」という思いが、べっとりと貼りついている。
この「隙があった」がなかなか曲者で、売上を上げていれば……のように分かりやすい改善目標でない分、GO TO まるごと自己否定になりがちだった。

新卒で入社してから山ほど迷惑をかけてきたことも自覚している。
たくさんの方にめちゃくちゃお世話になったし、企業としても魅力的なところだと思う。少なくともある時期までは、未熟者にあり得ないほど任せてもらえて、仕事人として尊敬できる先輩も多かった。
最後まで守ろうとしてくれた方たちのことはずっと忘れたくないし、どこかで恩返しをしたいとずっと思っている。

とはいえ、仕事のパフォーマンスではなく人間性を批評されることがあって蝕まれたのと、そのうち私自身が自分の全人格を否定し続けていることに気が付き、いまのこの環境は私には向いていないな、と悟った。
何より、「自分が担当しない方が作家さんが会社から大事にされるかもしれない、作品にとって幸せかもしれない」という思いにぶつかるたびに、やるせなかった。

見届けたかった仕事もたくさんあった(先日書いた『青くて痛くて脆い』の映画化とか)が、作家さんたちの「いつか必ずまた一緒に作品を作ろうね」の言葉に救われて、新天地に向かった。

新しい職場では、信じられないほど生きやすくなり(単純に上司に恵まれた。ラッキーですわ)、仕事が異様に楽しい。休みの日もずっと原稿を読んでいたいし、生の作品と対峙させてもらえる喜びに日々震えている。

それでも春先くらいまでは、書店で前職の書籍コーナーを見掛けるたびに、気付けば泣いていることがあった。自分で決めたことなのにね。

どこかで、私はあの場所にいたかったのかもしれない。というより、いられる自分でありたかったのかもしれない。そう思うこともある。

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