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#サクちゃん聞いて が良すぎたので記録したい。

大学1年生の頃、人生で一番自分の感情への感度が高くて、note面白そう!と思って勢いでインストールして、大学生の間考えていることを記録しようとしていたのに、時間に流されるまま過ごしてもう3女(信じらんない)。だけど最近所属しているサークルでnoteを始めて、一回自分で記事を書いてみて、使い方を身につけたのでとりあえず書いてみます(ドキドキ)。

2021年5月9日、桜林直子さん(サクちゃん)とのオンライン雑談の日でした。大学1年生の頃、人間ってむず!と迷走していたときにサクちゃんのことをSNSで知って、他者とのコミュニケーションの取り方とか、自分の感情の整理の仕方とかをnoteやtwitterで書き綴っているのを読み漁ってからというもの、めちゃくちゃファンになりました。電車の中でtwitterをふとスクロールしたときに出てきたサクちゃんの言葉に救われたりもしました。そんなサクちゃんがオンラインで雑談企画をするというので、えい!と応募してみたら見事抽選に当たって、サクちゃんと2人で話す機会を得ました。今日がその日。スペシャルデイすぎる。

めっちゃ緊張してたけど、実際に話してみたら、素!ありのまま!って感じの飾らない人で、語尾とか、言葉選びとかがtwitterで見てた文章そのまんまで、心の中で感動してしまった...。とにかく、めちゃくちゃ楽しかったので感想を記録したいんです。(noteとかで記録とか感想を投稿するのは大歓迎!と言われていたのだけれど、あれ?人の言葉とかって勝手に解釈加えて発信していいんだっけ?表現の自由?と法学部の性が出てしまい、不安になり直接問い合わせたら、どうとでも好きなように書いてくださいー!書くとまた整理されるよね、という返信が来た。やさしい。)

「頑張らない」という意思決定と努力

 まずはじめに、「やらなければならないことがあるとき、息抜きしたり楽しむ時間を作るという選択をするのが苦手。」という話をしてみました。一分一秒全力投球!タイプではないし、取捨選択とかそんなに下手ではないけど、「これに関しては、このレベル以下には下げたくない」とか「これだけは守りたい」みたいなラインが自分の中にあって(これは多分プライドとかの問題でもあるが)、それを守りたいと思うとき、つい頑張りすぎて、自然と心から「楽しい」と思う感情自体を大事にできないという感覚が自分の中にあるんですよね。自分でもめんどくさいと思うけど。

そんな話をしてみたら、「コロナで何もできなくなったからこそ、見えるものってなかった?」っていう質問をされました。何もできない状態だからこそ、その状態の中で「したい」と思えることは根本的にしたいと思っていることだよね、という話。コロナ禍、みんな辛いだろうけど、人によってきっと心が求めていることが違うから、きっと辛さの種類がそれぞれ違うね、みたいな話。

あと、「頑張ってどうなりたいの?どうなったら嬉しいの?」と聞かれました。多分きっと、「これくらいのレベルでいたい」というプライドや欲求自体は悪いものではないけれど、その欲求に振り回されて、自分をすり減らしているのではないか?ということを確かめるための質問だったのかなと思います。頑張ることをやめてしまって自分が求めるレベルにいけない方が嫌なのか、それとも、頑張りすぎて楽しいと思う感情をすり減らして生きることの方が嫌なのか。感じてはいけない感情はひとつもないから、どっちの選択肢をとるのかは自分の意思次第だよなあということを、つい忘れがちだなと気付かされました。

その上で、自分の楽しい感情を大事にしたいと思うなら、あとは「頑張らない」とか「こっちを大事にする」という意思決定と努力でなんとでもなるよ、と言われました。今は「努力してみたらよかった体験」しか持っていなくて、「楽しいことを選んでよかった体験」があまりないから、楽しいことを選ぶより、我慢する方を選んでしまいがちなんだろう、と。頑張ることは悪いことではないけど、それで自分が楽しいことがわかんなくなるならそれは悪いことだよ、どうせ頑張るなら楽しいことで頑張らせてあげようよ、と。

サクちゃんのこの、希望のある考え方がもともと大好きだったので、直接アドバイスされてすごく嬉しかったです。小さな一つひとつの行動ですら、私たちは自分で選ぶ権利を有している、みたいな考え方。

いい距離感を保つコツは、「私とこの人は関係ない」という感覚

 サクちゃん、娘さんの話をたくさんしてくださいました。もともと、サクちゃんの娘さんとの関係性が良すぎる、こういう育て方されたかったししたい、と思ってたので、話を聞きながら密かに興奮していた私。そこで、サクちゃんに「近い人といい距離感を保つコツはなんですか?」と聞いてみました。

返ってきた答えは、「すっごい冷たいけど、私とこの人は関係ないんだって思うこと!」でした。そう思ってるからこそ、娘さんの興味関心を邪魔しないように気をつけていたし、何が嫌だ・何がしたいとかたくさん聞いていたとか。そうやって育てたから、娘さんの中にも、「こういうことをしてくれるのが親だ」というステレオタイプな甘えはなかったらしい。いいな〜。私はこういう育て方されたい派。サクちゃんは、スパルタだよね〜!と笑っていたけど、生まれた時から子どもの人生は子どもの人生だから、小さい頃から自分らしい感覚を育ててあげたほうが絶対のちのち苦労しないよな、と思う派(なんだか憲法っぽい思想だな)。

あとは、これは親子に限らないよねという話もしました。関係性が近いときこそ、どれだけ自分と他人は違う人間なんだって思えるかが大事だよね、と。
うわ〜いいな〜と思った言葉がたくさんあったから、以下、羅列してみます。

・どれだけ近くても、見てる部分、大事にしてる部分は違う。たとえ自分から見たらそれが正解でも、たとえそうとしか見えなくても、相手の景色を一緒に見ようとする努力が必要。
・自分ができるからといって相手もできるとは限らないとか、自分にとっては快適なやり方でも相手も同じように快適と思うかはわからないということをちゃんとわかってないと敵になる。人間関係は勝ち負けではない。
・関わり方や、コミュニケーションの取り方とか、嫌だ・不快だと思うとき、その土俵には乗らない。相手の土俵に引き摺り込まれない。
一人の人間から同じものが出てくるわけがない。見えている部分だけが全てではない。

湧いてくる感情は、全て自分の中にワケがある

 サクちゃんのお友達の話をしてくださいました。とある日、サクちゃんに相談をしてきたお友達がいたそう。(若干記憶が曖昧だけど)そのお友達の悩みとしては、「ある友達(サクちゃんとも共通の友人)をちょっとしたミスで怒らせてしまった。簡単に謝ったら、なんでちゃんと説明してくれないの?嘘ついた!みたいなやり取りになり。怒っている側の子がすごくスイッチが入ってしまって、やっぱり納得できない!もっと謝ってほしい!と後から何度も何度も言われてしんどい」という話でした。

「この喧嘩の流れで聞いた話ではなくて、以前普通の会話をしていたときに出てきた話なんだけど、その怒ってる側の子の一番優先順位の高い感情って、『バカにされたくない』『舐められたくない』っていう感情らしいんだよね。」と、サクちゃん。その話をサクちゃんは知っていたから、「きっと、ちゃんと説明してくれなかったという出来事自体に怒っているわけではなくて、説明を省かれたことでバカにされた、舐められたと感じたから怒っていると思う。あなたのことを信頼しているよ、ということを伝えてみたら?」とアドバイスしたらしい。表面上は説明してくれないことに対して怒っているように見えるけど、根底にあるのは、元々その子が持っている「私をバカにするな」とか「私を舐めるな」という怒りだから、その子が本当に望んでいるのは説明じゃない、と気づいたらしい。

「バカにされたくない」「舐められたくない」「下に見られたくない」「否定されたくない」「蔑ろにしてほしくない」とか、人の数だけ「元々持っている怒り」には種類があるのだろうな、と思うし、多分関わる相手によっても変わりうるものなのだろうな、とも思いました。この人にだけは否定されなくない、受け入れて欲しいとか。

怒っているとき、怒らせるような言動をとってきたのは相手だから、謝って欲しい、説明して欲しいと思うけど、自分を知るために、そして大事な人にちゃんと自分をわかってもらうために、一旦「私の持っている怒りはなんだろう」と立ち返ることも大切だなあ、と思います。「私は否定されるのが嫌だから、こういう言い方はされたくない」とか、「私はこういう経験があってバカにされたくないという思いが強いから、なるべく言葉できちんと説明して欲しい」とか、そういうことをちゃんと説明してみて、それでもわかってくれないかどうか。怒るのはそれを確かめてからでも遅くないなと。(親しくないのに無差別に傷つけてくる人とか、そういう人の話ではなくて、親しい人との関係において。悪意があって傷つけてくる人にわざわざ言葉を尽くす必要があるとは思わないし、そっと離れるのが正解な時もあると思う。)


以上、サクちゃんとの雑談で印象に残っていることをまとめてみました。全部大事にしたい考え方だなあと思います。話しやすい雰囲気を作ってくれるのもすごく上手くて、出てくる言葉もやっぱり素敵で、ますます好きになりました。しばらくるんるんしている。

最後に、「やることいっぱいだね!」と笑ってくれました。うれしい。またお話できたらいいなあ。








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