日記 2022年5月17日

やっほー。おはようございます。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。
誰がどのタイミングで読むか分からないので、とりあえず挨拶を羅列しています。癖みたいなものです。

自傷について考える機会がありました。
自傷。自分で自分の身体を傷つけること。
何が自傷なんでしょうね。まぁ意味的には自分の身体を傷つけることなんでしょうけど。なんか字面的に受け入れ難いというか。自傷を受け入れ難いわけではないです。「身体」を傷つけることだけが自傷なんだなぁって改めて感慨に耽っています。
耽るってなんかエロくないですか?耽美に引っ張られすぎ?

心を殺す、ってよく言うじゃないですか。なんかあった毎に心を殺さなきゃ生きていけない人ってたくさんいるって聞いたことあるんですよ。殺している感覚があるか無いかってだけで。
でも明確に「あ、いま私、自分の心殺したな」って殺す度に思う人は、自傷にはならないんですかね。単なる疑問です。単なる虚言かも。単なる偽善かもしれません。
多分、心を殺し続けて、殺し続けまくっちゃった人が、「あ、私、自分の心殺しまくっちゃった。もう殺す自分残ってないよぉ」って気付いた時に、「病んだ」って言われるんでしょうね。
そこからやっと、自分の身体を傷つけて、初めて「自傷」って名前がつくんだろうと、そう思うわけです。まぁ、自傷が趣味の人は除きます。多分いるでしょうし。
手首傷つけたり、太もも傷つけたり、肝臓痛めつけたり、腎臓虐めたり。
そういうときって「もうずっと殺し続けてきた私なんてどうでもいい」になるんでしょうか。
真夏に長袖が手放せない彼女も、汗だくのまま引かない汗に苦しむサラリーマンも、毎晩便器を抱き合うおじさんも。

話は変わりますが、よく「自傷行為は逃げじゃない。生きるためにやっている」って方もいると思います。心も殺して身体も傷つけてしまう人。
というより、その人自身はそう言っていないパターンの方が多いですよね。なんとなく。
外野の人が、よく言っているのを見る、というか外野の人がどんな素性かは分からないですけど、なんか勝手言ってるなぁって。
「逃げてない!決して自傷行為をする人は逃げていないんだ!」って。
そういう人から逃げられない人もいるのに。
そういう人から逃げ出したい人もいるのに。
生きる最低限をこなすために逃げているのに。
「大丈夫だよ!」を聞き飽きた人もいるのに。
「安心して!」に殺され続けた人もいるのに。
無責任な言葉だけが宙を舞って心だけが殺される。
「私だって」とか「俺だって」とか、聞いてないんですよ。だってお前は私じゃないだろ。
安っぽい共感とそれらしい言葉だけ並べて、助けるつもりで殺してる人だっているんですよ。多分ね。
だって私はその人たちじゃないから、どこまでいっても「多分」とか「でしょうね」とかになるんです。
「その人になったつもりで」という言葉が一番嫌いです。人間舐めてない?って思います。
社会生活を営むうえで、って話はしてません。人の心を殺すか生かすかの話をしています。

自分の心を殺すことに飽いた人が、自分の身体を傷つけることを悪いことだとは思いません。
何を思って手首に線を増やして、何を感じて肝臓を犠牲に夢を見るのか。
そんなところに、他者の介入なんて不要です。
ふとした瞬間に、「あ、他者いたわ」って思い出すこともあるかもしれません。
それまでは黙って見て見ぬふりをすればいい。

ただ、死ぬのは駄目。自分で死んじゃ駄目。それだけは駄目。人生からのログアウトは駄目っす。いずれ強制BAN喰らっておさらばするそのときまでは、自分の心を殺して、自分の身体を傷つけて、死ぬまで生きてください。
死に様に憧れるような人が現れたら、その人が何をしたかを思い出してください。何故その人に惹かれたのかを思い出してください。どうせなら、その憧れた人と同じくらいの何かを遺してください。何もせず、ひっそりと、心を殺し続けて、身体を傷つけて、黙って逝かないでください。
ご検討のほど、何卒お願い申し上げます。

お願いすることしか、私にはできませんので。

それでは、さようなら。

励みを頂ければ……幸い至極です……