語尾

私が社会人になって足りなかったもの。
それは語尾だった。

それは入社当初気付かなかった問題だった。
2年目になり議題を提案する立場になったが発言の締めくくりの言葉がいつも見つからなかった。

いつも「かと」「ですとか」「かなと」のような言い切らない文章になっていた。

ビジネスの場面では非常に気持ち悪いらしく上司に何度か指摘されて余計に自信がなくなったりもした。


思えば学生時代の頃も自身の意見は優柔不断でいつも途中まで言って誰かに代弁してもらっていた。というのもおそらく幼少期の環境が影響してるかと思う。

我が家は6人兄弟4男2女と、近代では大家族と認定される家族構成だった。男系家庭で割と田舎くさい弱肉強食的な家庭だった。
ところで家庭内は完全に社会的コミュニティだった。下から2番目の私に向けたエレメンタリーな関係ではなく私の経験した社会よりも厳格なものだった。

まず、優先順位は頭脳、年長者、性別で決まる
論理的思考で優勢な者が総合的に優位とされる、そこへ年長者という要素が加わり、烈を背負う時のみ性別で不利になることがあった。

頭が悪く下から2番目で女の私の立場は勿論絶対的最下位。意見が回収される事はなかった。
だからそもそも意見を持たない、しかし猛烈に要求があった時は泣き叫びある時はボイコットして意見を通すしかなかった。

そしてまた兄弟に蔑まれながら嫌われながら思い通りにしていく。手段は選べなかった。
ボイコットにもぐずることにも語尾など関係がない。

だから家庭という社会では自然の摂理のように孤立して行った。
両親が手を差し伸べてくれる事はなかった。
一人っ子が多いこの社会で兄弟が多くて羨ましがられる事は多々あったけどその理由のどれもが私には当てはまらなかった。

母は姉のようになれといつも言った。
私はもっと女の子らしいモノを持ちたかったが姉はそんなものは欲しがらなかったとか
スポーツに関心を向けて欲しかった。
私は運動音痴な方だったし出来れば周りの子と同じようになりたかった。

しかし母は8つ離れた姉の幼少の頃しか女の子の姿を知らない。そしてあとは3人の男の子。
4人も育てれば彼女の中に規範ができる。
その型からズレる意見は許されなかった。ましてや頭の悪い子、聞き入れる理由もなかった。


物心ついた時からだれかの前で意見を言うのは苦手だった。兄弟からの白い目、叔母から付けられた心ないあだ名、両親の無関心。
そのどれもが心の奥底で食い止めた。

そのせいか、いつの間にか私に対して関心のある人間を遠ざけるようになった。私の周りは自分の話を話してくれる人間ばかりだ。大抵は私には注意を向けず切り込んでこない、私自身も常に聞き手である事を望み、不自然にならない様にどうでも良いエピソードトークを話す。
だから多くの人間は私を去る、その行動に気付かない者、もしくは気付かないふりをする人間のみが私の周りにはいる。

それは私の自らの行動であり、望んでやっている事なので悲観的には思わない。ただ幼少期、3,4人の少ない家族構成でもっと自分が尊重されたコミュニティで育ったら、他人に対して寛容で芯のある人間になる事が出来んだろうと思う。社会に出た時、語尾がない事で自尊心の損失に困る事はないのだろうか。

現在姉には2歳の男の子がいる。
一人っ子で最近よく喋れる様になったのが印象的。まだあどけなく、言ってる事も支離滅裂。
何かする度に誰かにそれを報告している。

そんな彼と対面する事がわたしのリハビリになっている気がする。と言うのも彼には私が何を言いたいか察するとか先に言うとかは出来ない。自らが意見を言わない環境を選んでしまった私には伝える事を練習する場がない。
しかし、二歳児相手にすら私は、時より語尾を誤魔化してしまう、そんな時自分で情けなくなる、だから私は彼の前で懸命に語尾の引き出しを探すし彼の目を見て一言一句最後まで彼の言葉を体を向け合って聞くようにしている。

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