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森逸崎さん家。

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7人兄弟(女女女男女女女)や家族の日常と人間模様に関してのエッセイ。一番上は40歳、一番下は26歳、私は6番目
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#これからの家族のかたち

人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり

どんなに辛いことがあったとしても、祖母の前では決して、それを見せてはいけないと思っていた。 #我慢に代わる私の選択肢 意識された日常 誰に言われた訳でもないのに、祖母がいる食事の席で私は、いかに毎日楽しくて充実しているのかという話を聞かせることに徹していた。 それは嘘を吐くとか話を盛るとかそういうことではなく、例えば小学生のころ、友達とどんぐりでやじろべえ作っただとか、家庭科で作った炊き込みご飯が美味しかっただとか、そういう「私の世界の日常」を語るのだった。 今思え

"So Long, Farewell."

生意気な妹が、2番目の姉に対してできること。 比較ではなく 「海みたいに、結婚したり子供を持たないでパートナーって形で一緒に居たい人といた方が、いくらかやりたいことも思いっきりできたかもしれないね」 そう言いながらコーヒーを啜る姉に、私は何も言えなくなってしまった。 そりゃ私と私のツレは、今後籍を入れることも子供を持つこともしないだろうけど。 今がとても幸せだと前置きをしながらも、3人の子育てに追われ、毎日仕事と家事で自分ひとりの時間を持つことが困難な環境を聞くと、そ

最果てにて

かつて祖母から「風来坊」と呼ばれたその叔父は、火野正平を彷彿とさせる風貌そのままに、まるで少しずつ山に取り込まれていく仙人のようだった。 全て山の中木曽の王滝村というところで叔父が民宿をやっているというので、両親と妹と私の4人で泊まらせてもらった時の話である。 「自分が住んでいるところが御嶽山の麓だと思っていたけど、よく調べたら一合目よりも高い場所だったんですよね。王滝村って、山の下じゃなくて、山の中にあるんです」 車を運転しながら、叔父がそう案内する。身内であり歳下の私

36歳でおばあちゃんになった姉の話

遅かれ早かれそのポジションにつくとは思うけど、一体誰が、働き盛りの姉に孫ができるなんてことを想像できただろうか。 我、姪孫なり 姉に孫ができた。 連れ子とかそういうことではなく、紛れもなく直接の姉の孫、つまり姉の子供の子供である。 割とシンプルな話で、姉は16歳で息子を産み、そしてその息子も20歳で結婚して娘が生まれた、という次第。 いや早えよ。姉ちゃんまだ36だよ。 そして姉の孫って、私にとっての何なのよ。 ググったら出てきたのが「姪孫」という呼び名だった。自分の甥

それでも、親子は一生「親子」なんだよ。

母と私で、親子関係に対しての考え方が違っていて面白かったので、つい記録。 ミセス心配性私が「実は低血圧だった」ということを知ってから、母は朝寝ている私の腕に血圧計を巻き付けて、勝手に計測するようになった。 毎回「最高血圧95!最低血圧65!今日も低いね!」と計測結果を大声で言い捨てて去っていくその姿を見れば、寝起きのダルさがあろうとこちらも笑わずにはいられない。 思えばそもそも母は根が「ミセス心配性」なのだ。 兄夫婦が喧嘩したとあらば、車で1時間かけてその家に行って仲裁役

6人分の人生を見ながら生きるあなたへ。

今、少しだけ疲れて、少しだけ自信をなくしているあなたに、ちょっとだけ立ち止まって読んでほしい。あなたは7人兄弟の末っ子で、昔から口下手で大人しくて、でも誰よりも激しい情熱を胸に秘めた、そんな子だった。 後悔 私は幼少期のあなたの声を思い出せない。 あなたはいつもじっと周りを観察して、自分から進んで何かをすることはあまりなかった。だけどその分、周りの兄弟たちが取る行動全てに、笑顔で応えていたと思う。 私が自分の言葉をうまく伝えられなくて大声で泣きわめいていた時でさえ、あなた