やさしい吸血鬼の作り方6

 はっきり油断していた、と断言しよう。
 まずカヅキは慌てて何を思ったのか真っ先にカーテンを閉めた。それによって光源を失い真っ暗になった部屋でおそらく慌てたらしいミヤマが何かに躓いて派手に転倒する音が響く。それに駆け寄ろうとしてカヅキはテーブルに衝突し、それによって食器が落ちて割れる音がした。「べっ、ベッドの下!」となんとかとっさに叫び、暗闇に慣れた目で黒い塊がのそのそと床を這ってベッドの下に収まるのを見届けてから、カヅキはそこでやっとノックされた扉を開くことが出来た。

「よ、よぉ、おはよう、ララ! 今日もすげぇ美人っぷり!」
「……こんにちは、カヅキくん。ごめんね、取り込み中だった?」
「まさか! ちょっと、これはさ、ゴキブリ、そう、ゴキブリがね! いやぁ、馬鹿でかいゴキブリだった! 喰われるかと思っちまったくらい!」

 訝しげな表情で、真っ白な広いつばの帽子を揺らしながら、ララは首を傾げた。
 その青い瞳はこの寒い時期にゴキブリ……? と疑問符を飛ばしていた。

(あっぶねぇ)

 未だに心臓がどきどきとする。カヅキはようやっと室内に入りたがるララのことをなんとかなだめて庭へと連れだしウッドチェアに座らせることに成功した所だった。
 発端は先程、昼食をのどかに取っていた時のことだ。ミヤマは上品にナイフとフォークを操り食事をし、その対面でカヅキは蜂蜜をたっぷり溶かした白湯を飲んでいた。
 一口食べないかい、いやいや俺菜食主義者なんで、野菜もあるよ、いやいやいや、育ち盛りの子どもをおいて自分だけ食べるだなんて気が引ける、いやいやいやいやミヤマさんは病み上がりなんだからそんな遠慮はしなくていーんですよ、けど、でも、だって……。
 そんな押し問答をしている所に急に扉がノックされたのだ。
 2人は飛び上がって驚いた。
 なにせミヤマが訪れてから――正確には目覚めてから、初めての訪問者である。
 カヅキがとっさに思ったのは窓から覗かれるとやばい、ということだ。中を見られたらミヤマの姿が丸見えである。そして焦ってカーテンを閉めた結果があの惨劇である。
 未だに室内にその悲劇の現場は残されたままだ。出来ればミヤマが今のうちに這いだして少しでも片付けておいてくれないかと思うが、いや、逆に何もせずにいてくれた方が良いのかもしれない。あの巨体をベッドの下に押し込むこと自体にかなりの無理があるのに、そこから音を立てずに這いだして、片付けをして、そこから更に静かにベッドの下に戻るだなんて至難の業だ。
 なんとか室内から一つだけ持ち出すことに成功した椅子をララの正面に置いて座りながら「今日は天気がいいからさぁ、家の中に引っ込むのもなんだろ?」とカヅキはことさら陽気に振る舞って見せた。

「今の時期は椿が綺麗なんだ。ララは好き?」
「ええ、好きよ」

 未だに少しそわそわと肩を揺らし、背後の家の中を気にしている様子のララに、カヅキは内心で軽く舌打ちをして立ち上がる。

「カヅキくん?」

 その呼びかけには答えず、カヅキは椿へと向かうとその中でも一際見事な一輪を手折った。それを手に訝しがるララの背後へと回り込み、その美しい栗色の髪を恭しく持ち上げる。

「お嬢様、本日はどのような髪型をお望みでしょう?」

 驚きに目を見張る彼女に、おどけた仕草でウインクを一つすると手慣れた動作で彼女の髪を頭のてっぺんでお団子にして巻き上げる。そこに角度を調整しながら椿を差し込んで髪型が崩れないように固定した。

「わぁ、お嬢様! まるで物語のお姫様のようですよ! きっとこの世の誰もが貴方様の美しさに見惚れ、太陽の乙女と讃え、求婚を申し込むことでしょう!」

 正面へと回り込むと今度はひざまづいて彼女の手の甲にキスをする。

「お美しい太陽の乙女、今日のご機嫌はいかが?」

 恥ずかしがるような密やかな笑い声が弾ける。ララはその透き通った頬をわずかに朱に染めて恥ずかしそうに口元に手を当てて微笑んだ。

「カヅキくんったら! もう、本当に冗談が好きなんだから!」

 その様子にカヅキはよし! と内心で拳を握る。彼女の頭からは家の中身のことなど消え去ったようだった。
 しかし誤魔化すためとはいえ、カヅキの言ったことはあながちおべっかではない。
 ララは美しい少女だ。光の下で見るとその美貌はより際立った。
 色素の薄い栗色の髪はゆるくウェーブを描き、光に透けて所々金色へと輝いた。同色の長いまつげで縁取られた瞳は海のように深い青に染まり、理知的な光が燦めいている。珊瑚色の小さな唇は優しげな笑みを彩っていた。

(まぁ、しいて難をあげるとするならば)

 立ち上がりながらカヅキはちらり、とララの白いブラウスを見る。
 そこには13歳の彼女にふさわしい、慎ましやかな胸が収まっていた。
 カヅキは巨乳派だった。

「どうしたの? どこを見ているの? カヅキくん」
「いやいやいやいや、ララは本当に美人だなぁって思ってただけだよ」

 さっ、と素知らぬ顔でカヅキは視線をそこから逸らしたが、ララの笑顔が先程の優しいものではなく悪鬼のようになっている。
 そそくさと椅子に戻りながら、「それで、急にどうしたの?」とカヅキはさっさと話題を切り替えた。
 触らぬ神に祟りなしである。
 そんなカヅキにララは呆れたようにしらっとした目を向けたが、「カヅキくんに贈り物を届けにきたのよ」と話題の転換に乗ってくれた。
 肩に掛けていたバッグから包みを取り出すとカヅキに渡してくれる。
 青い風呂敷で包まれたそれを受け取り開くとその中には

「豆腐……?」
「そうなの、大豆をね、無事に収穫したものだから、せっかくだから作ってみたの」

 お豆腐なら菜食主義者のカヅキくんでも食べられるでしょう? と微笑む顔は可愛い。天使のごとく可愛いのだが、

「なんで豆腐をそのまま風呂敷に包んだの? ねぇ?」
「うふふふふふふふ」
「いや、ねぇ、なんで……?」

 手にもった瞬間から嫌に風呂敷が湿っているとは思ったのだ。なんの器にも盛られず剥き出しの豆腐が丁寧にその風呂敷には包まれていた。
 ちなみに形は崩れてぼろぼろだ。
 どこからどう見てもただの嫌がらせだった。

「俺、ララになんかしたっけ……?」
「いやぁね、冗談よ、冗談」

 にこにこと笑って「わたしもカヅキくんと一緒で冗談が好きなの。お揃いね」とララは嘯く。

「本命はこっちよ」

 バッグから取り出されたのは今度は瓶だった。それは果実酒などがよく入っているような一般的な形のもので、そこに張られたラベルも見覚えのあるものだが、その透明なガラスから見える中身は乳白色の液体だ。

(どこからどう見ても中身がべつもんだろ、これ)

 若干引きつつもそれを受け取る。ちらり、とララの様子を覗うと無言で手のひらを向けられた。
 どうやら開けろということらしい。

(マジで俺なんかしたか……?)

 必死に脳内を検索するが心辺りがまるでない。ララは大切な友人だが、そもそも会う機会自体は比較的少ない。ララの家が農家のため時々こうして野菜を分けてもらったり、稀にカヅキが村に行った際にあれこれと世話を焼いてくれる程度だ。
 しかし本当にララの機嫌を損ねるようなことをしていたらまずい。
 どっと冷や汗が全身から吹き出す。
 主に村でのカヅキの立場的に非常にまずいことになる。
 ララは美人だ。そして社交的で性格が良い。つまり、村のアイドルなのである。
 村長の息子に懸想されていて、少し離れた隣町の貴族の坊ちゃんにも惚れられていて、ついでに村の野郎どもがこぞって自分の娘かのように可愛がっているまさしくアイドルだ。
 そのララの機嫌を損ねたら?

(村から爪弾きにされる……っ)

 カヅキは正確には村の一員ではない。実は村との交流が生まれたのもここ数年のことであって、それまではこんな森の深くに住人がいるとは誰も思っていなかったらしい。
 なにせ、大した資源もなく、屍食鬼ばかりが湧き出る森である。
 化け物の住む森、との言い伝えが残されていたこともあり、村人は誰も入ろうともしなかった。

(そういえば……)

 カヅキのことを最初に発見したのはララであった。ある事情から泣きながら森に飛び込んできた彼女が、この家の庭まで迷い込んできたのである。

「カヅキくん?」

 開けないの? という笑顔の圧力がすごい。カヅキははっ、と我に返ると瓶を見下ろしてごくん、と唾を飲み込んだ。

(度胸! 度胸を出すんだカヅキ!)

 ゆっくりとコルクを掴む。一息にそれを抜き取ると、恐る恐るその瓶の口に鼻を近づけた。
 匂いを嗅ぐ。

「……豆乳?」
「だいせいかーい!」

 ララは手元に隠していたのだろう小さく切られた色紙を、わっとかけ声とともにカヅキに振りかけた。
 その色とりどりの紙が舞う様を眺めながら、カヅキは大きく脱力する。

(良かった……っ)

 本気の嫌がらせではなくてただの冗談だった。

「びっくりした?」
「どきどきした」

 いろんな意味で。
 皆までは言わずにカヅキは肩をすくめると瓶にコルクの蓋を戻した。

「大豆の収穫が多かったんだ?」
「そうなの。だから近所にお裾分け。それならカヅキくんも飲めるでしょ?」
「うん、まぁ、豆腐はあらゆる意味でどうしようって感じだけど豆乳は助かるかな。ありがとう」
「お豆腐も一応食べられるわよ。表面だけ削れば」
「……うん、そっか」

 ミヤマにこっそり器を変えて渡そうかな、と思案していると、「あら」とララが声を上げた。

「ウサギがいるわ。珍しいわね」
「え? ああ……」

 ララの視線を追うと確かにそこには茶色いウサギが一羽いた。確かに珍しい。
 この森にはそれなりに野生動物が生息しているが、カヅキの家までやってくるものは稀だ。カヅキの存在を警戒してか、特にウサギなどの小動物は近づいてこないのだ。

「ど……」

 どうしたんだろ、と言うよりも早く、ウサギのその輪郭がへしゃげた。
 血痕が、庭先に飛び散る。

「……は?」

 何が起こったのかわからず間抜けな声を漏らすカヅキの隣で、ララが悲鳴を上げる。

「屍食鬼……っ!!」

 その叫びの通りまさしく、そこにはウサギをその手でわしづかみ、無残な肉塊へと変えた鬼が立っていた。

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