やさしい吸血鬼の作り方4

「里を襲われたんだ」と彼は言った。

「あそこに見える雪山があるだろう。あそこの中腹にある里に俺達一族は住んでいたんだ」
「トウキ山に?」

 あんな険しい山に人が住んでいるなんて驚きだ。その反応が珍しいものではなかったんだろう、彼は苦笑した。

「ヒシ族という一族があそこには昔から住んでいるんだよ。俺も当然、そのヒシ族だ。槍の扱いに長けた一族でね。武芸に秀でた者はだいたい護衛やら退治士などで外に出稼ぎに行くんだ」

 意外に穏やかで住みやすい所なんだよ、と彼は告げる。いかにも屈強で体力のありそうな人間の「住みやすい」がどの程度の基準なのかはわからなかったが、余計な口は挟まないことにしてカヅキは「ふーん」と相槌を打つのに努めた。

「あれは、そう、吸血鬼という奴だったんだろう」

ミヤマはそう告げる。黒い髪に金色の瞳の少年。見た目は本当にどこにでもいそうな子どもだったらしい。

「丁度君ぐらいの年頃の、13,4歳くらいに見えた。赤いキャップ帽をかぶり黒いフードのついたパーカーを羽織っていた。こうして思い起こすと服装もどこか君に似ているね」

 その言葉にカヅキは自身の格好を見下ろす。なるほど、カヅキは赤いフード付きのパーカーを羽織っていた。実は今はかぶっていないが出かける時は黒いキャップ帽をかぶっていることも多い。しかしそう言うミヤマの瞳が当時のことを思い出してか不穏に輝くのに背筋を凍らせて、「いやー、まぁ、俺くらいの年代の奴はだいたいこんな格好ですし?」とカヅキは弁解した。
 それにミヤマの瞳に宿っていた怪しい輝きがふっと消える。

「そうだね」
「そうですよー」

 あはは、うふふ、と微笑み合うが、カヅキの内心は全く笑えていない。

(このお兄さん、やべー)

 げんなりとする。ミヤマの里を襲った吸血鬼とただ年頃と髪の色と服装が似ているというだけでとばっちりで殺されてはたまらない。
 和やかな空気に忘れかけていたが、ミヤマは起きて早々カヅキの首に食らいついてきた吸血鬼である。何気なくその傷口を手で擦って確かめてみると、その傷はもう塞がっていた。

「俺以外の里の者は、生きている者は見つけられなかった」

 彼が駆けつけた時にはもう、遺体の山だったのだと言う。そうしてその遺体を辿ってついた先に立っていたのが、件の吸血鬼と思われる少年の姿だった。

「俺は奴と戦って……負けた。そうして奴は……」

 ミヤマが自らの首筋を手で押さえる。そこを噛まれたのか、とカヅキは察した。
 吸血鬼という奴は――移されることがある。吸血行為によって血を吸われた者が吸血鬼になってしまうことがあるというのは有名な話だった。

(けど……)

 何かがおかしい、と思う。カヅキは自分の考えを頭の中でまとめながら慎重に訊ねた。

「死んでたの? 全員?」
「ああ、俺の目で見た範囲では」
「お兄さんの里って人数どのくらい?」
「さぁ、せいぜい50人いるかいないかという小さな集落だよ」

 なぜそんなことを聞くのかとその目が如実に問いかけてくる。それを正面から見返して「それっておかしいな」とカヅキは言い切った。

「一度に50人も殺したの? 1人の吸血鬼が?」
「……なにが言いたい」
「そんなことわざわざするかなぁ」

 カヅキの黒い瞳が仄暗くきらめく。その疑問にミヤマははぁ、と息を吐く。

「おおかた、食料でも欲しかったんだろう」
「食料」
「人間の生き血だ。腹でも空かせていたんじゃないか」

 自分で言って腹が立ったのか、ミヤマは眉間に深い皺をぎゅっと寄せた。それに苦笑を返しながら

「それ、ますますありえないです」

 カヅキは断言した。

「……? どういうことだ」

 訝しむミヤマに、カヅキは彼の緊張をほぐすようにへらりと笑って見せた。これから言うことはなかなかに大きな爆弾であり、下手をすれば激昂したミヤマに殺されかねない内容であった。

「吸血鬼ってめったに血を吸わないんですよ。あれは食料っていうより燃料みたいなもんで、主食は別なんで」
「主食?」
「それです」

 ミヤマがテーブルに置いたマグカップを指さす。正確にはその中に入っている蜂蜜だ。

「吸血鬼って実はめちゃめちゃ燃費のいい生き物なんですよ。普段は花の蜜とか樹液とか果物の汁をすすって生きてるんです。なんつーかほら、ヤブ蚊みたいな」
「やぶか」
「蚊って子ども産むために血を吸うんです。メインの食料じゃないんですよ」
「……子ども」
「まぁ、吸血鬼の場合は戦うために血を吸うんですけど」
「戦うため?」

 そう、とカヅキは頷く。

「吸血鬼って普段は温厚なんですよ。でも攻撃してくる相手は当然撃退しなきゃでしょ。じゃないと死んじまう。だからその攻撃者から血を吸って、そのエネルギーで身体を強化して戦って撃退するんです」

 意外に大人しく話を聞いてくれているが、その視線が段々と険しくなっていくのが見ていてわかった。彼の我慢の尾が切れる前にさっさと話してしまおうとカヅキは先を続ける。

「一応吸った血は少しなら溜めておけるらしいんで、それはいざという時に取っておいて、襲われたらそれを使って戦って、戦い終わったらその襲ってきた相手からちょっと血をちょうだいしてまた次の戦いに備えとくんです」

 かたん、と椅子を引いて席を立つ。彼が警戒するように身構えた。それに両手をあげることで無害なことを表明しつつ、カヅキは先程彼がぶつかって盛大にぶちまけた本棚へと向かった。

「少なくとも相手を殺すほど血を吸うことなんてないですよ、真祖は」
「真祖」
「生まれつきの吸血鬼です」

 本棚の中身は二重になっていた。前方の見える部分には当たり障りのない本を置き、その奥に大切な本を隠している。前方の本が先程落ちてしまったせいで、その大切な本はほとんど露出してしまっていた。
 話しながら、カヅキはその中から迷った末に一冊を抜き取る。

「生まれつきの吸血鬼は自分の身体のことをわかってますから、必要ないことはしません」

 彼はもう言葉を発しなかった。こちらを疑うような油断のない視線が睨んでくる。振り返るとその身体は座っていても身構えていて、少しでもカヅキが怪しい行動をすれば仕留めてやろうという気を発していた。
 それにカヅキは無害を主張するように再度両手をあげてできる限り警戒心を呼び起こさないようにへらりと笑って見せる。

「だいたいそういうことをするのは真祖に吸血されて後天的に吸血鬼になった奴――」

 ミヤマの緊張が高まっている。そんな彼のことを指でさし示し、カヅキは告げた。

「ミヤマさんみたいな、眷属です」
「……君はなぜ、そんなことを知っている」

 獣じみた深いうなるような声でミヤマは詰問した。怒りと興奮で再びその瞳は黄金色の輝きを取り戻し、刃物のような鋭い視線がこちらを突き刺す。
 カヅキは無言で、ミヤマの目線の先へと手にもった本を放り投げた。訝しげに彼はそれを手に取る。
 そこには『吸血鬼研究』というシンプルな表題と、著者であるムラサキという署名が書かれていた。いかにも手作りされたということが察せられるような雑な装丁のその本に、彼の眉間が更に深い皺を刻む。

「そこに書いてある名前、俺の親父です。まぁ、育ての、なんですけど」

 訝しげな表情を崩さず顔を上げるミヤマに、カヅキは笑った。

「吸血鬼研究をしてたんですよ、俺の親父」
「吸血鬼、研究……」
「本業は別ですよ。生態学の研究者で、なんか大学の先生してた時期もあったりしたらしくて、んで、裏でそっちの研究してました」

 わずかに警戒の解けた様子のミヤマに、カヅキはそろそろいいだろうと口を開く。

「ねぇ、ミヤマさん、これは提案なんですけど」

 ぺろり、と唇を舐める。さて、ミヤマはこの提案を受けてくれるだろうかと頭を掻いた。
 朝に渡された注意書きの紙を思い出す。先程暴れたせいでそれは部屋の隅でくしゃくしゃになっていた。あそこに書かれていた吸血鬼の文字。負傷者9名。しかしこんな戸惑った様子を見せられては、それをこのミヤマが犯したとはカヅキには思えなかった。
 しかしそれはこの様子を見ていたカヅキだから言えることであって、きっと外に出てわずかにでも怪しいそぶりを見せればたちまちミヤマは吸血鬼として吊るし上げられてしまうことだろう。
 意志の強い猫目を優しげに細めて、カヅキはミヤマを見つめる。

「しばらくここで、吸血鬼について勉強していきませんか。あんたには知識がなさ過ぎる。そんな状態で人里に出たら……、すぐに退治されちゃいますよ」
「しかし……」
「ここは森の中で、まぁ、近くに村はあるんですけどたまにしか人は来ませんし。身を隠すにはいいと思いますよ」

 このまま、せっかく助かった命が失われるかも知れないのを見過ごすのはさすがにちょっと心苦しい。それになにより、知識のないビギナーの眷属ほど厄介な存在はない、ということをカヅキは知っていた。

(やけを起こして、何をやらかすかわからねぇからなぁ……)

 先程ミヤマにも言ったようにいわゆる事件と呼ばれるような騒動を起こすのはだいたいは眷属だ。真祖は自らの身体の扱い方を心得ているのでそのようなことは滅多にない。調子に乗ったり、追い詰められたりした元人間が、往々にしてそのような事態を引き起こすのだった。
 彼は明らかに冷静な状態ではない。そんな状態で村人に糾弾でもされようものなら、と想像するだけでうんざりする。

(ただでさえ、あの『銀槍の狼』だろ?)

 平凡な一般人でさえ吸血鬼になるととんでもない筋力と体力、再生能力を有するようになるのだ。その上なまじっか戦い慣れている武人が吸血鬼になったら、生半可な退治士では太刀打ちできないだろう。
 今騒がれている件はミヤマの仕業ではないと思う。けれど、それが将来のミヤマの姿ではないとどうして言い切れようか。
 しばしの空白の時間が流れた。どうか頷いてくれとカヅキは無言のまま目線で訴える。
 場合によっては……、ちらり、と横目でカヅキは背後の本棚に備え付けられた引き出しを見る。そこには銀で作られた短剣が隠されているはずだった。

「君は……、それでいいのか」

 やがて恐る恐るといったように、ミヤマは言葉を零した。それにカヅキは笑みをこぼす。

 どうやら最悪の事態は避けられたようだ。

「いーですよ。困った時はお互い様でしょ」

 重い空気になるのを嫌って、カヅキはわざと軽薄な態度でウインクをして見せた。

「あ、その代わりと言ってはなんですが、俺が困った時は助けてくださいねー。なんだったら3倍返しにしてくれてもいいですよ」冗談めかしてそう言うカヅキにミヤマは何を思ったのか、深刻そうな顔で首肯すると
「必ず、この恩は返そう」とカヅキの目前へと膝をついた。

「……へ?」

 静かなその紅の瞳で、カヅキのことを見上げて

「この血と空を巡る星に、君の助けになることを誓う」

 そう厳かに告げるとミヤマはカヅキの薬指の指先を軽く噛んだ。
 それに仰天するのはカヅキだ。

「な、なななななな! 何やってんの!? お兄さん!」
「誓約だ。ヒシ族の者は皆誓いを違えない」
「そ……っ」

 言葉に詰まる。先程までの自分の思考を思い起こして、更にカヅキはいたたまれない気持ちになった。
 随分と感謝してくれているようだが、カヅキはひたすらに気まずい。まさかあんたが暴れるかもしれないからそれを予防するために手助けを申し出たのだなどとはこの空気では口が裂けても言えないだろう。
 どうやら彼は随分とお人好しなようだとカヅキは嘆息した。

「そんな重いことしなくていーんだけど」

 頭を掻きながら告げる。正直こんなものを受け取る立場にカヅキはいない。

「何を言う。君には命を救われた。その上知識と休む場所まで与えられたんだ」

 ミヤマの視線はどこまでも真摯で真っ直ぐだ。

「一生を捧げてもこの恩を返せる気がしない」

 純真無垢とはこのことだろうか。
 あるいは誠実とでも言おうか。正面切って伝えられる感謝の念に、カヅキはどうにも尻がむず痒かった。

「そーいうこと、あんま言わない方がいっすよ」

 わずかに頬を赤らめて、息も絶え絶えにそれだけ忠告する。ここまでくるとカヅキも自身の中に生まれた邪な感情を認めざるおえなかった。
 いくら強面とは言え整った顔をした美形にそういうことをされると、なんというか、こう、心拍数が上がるのである。いろいろな意味で。
 そうしてカヅキの新米吸血鬼との奇妙な同居生活は幕を開けたのであった。

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