[小説]やさしい吸血鬼の作り方7

 そこに立っているのは一見すると痩せ細った全裸の男性だった。
 しかしその表情は険しく皺が寄り、黒い瞳はぎょろりと威嚇に瞬いた。鋭い爪は人間の物より遥かに長く、野生を思わせる。
 手と足の大きさがアンバランスなのはそれが彼らの武器だからだ。
 人間とは違い、彼らは道具を使わない。人間に非常に類似した姿をしながら、彼らは確かに獣だった。
 ウサギの肉をその口がほおばる。ごりごりという耳障りな硬質なものを噛み砕く音が響いて、彼はそれをゆっくりと飲み下した。
 その黒い瞳が、こちらを捕らえる。

「……逃げろっ!」

 ララを背後に庇い、とっさに椅子を盾のように構える。

「カヅキくんっ、でも……っ」
「いいから!」

 背後を見もせずに彼女の身体をぐい、と後ろに押し出す。

「村まで走れ! それか家の中に……っ」

 言い終わるよりも先に屍食鬼が襲いかかってきた。大きく振り下ろされた手をなんとか椅子の脚で受け止める。

「……っ」
「カヅキくんっ!!」

 もうララの悲鳴に応じる余裕もなかった。
 長い爪がぎりぎりと木製の椅子を蝕む。この膠着が長くは続かないことは確かだった。
 なんとかして押しのけたいが、闇雲に振り回しても椅子が壊れるだけだ。後ろに引くわけにも前に出るわけにもいかず、カヅキはただ耐えるしかない。

(せめてララが逃げてくれれば……っ)

 カヅキもこの場から全力で逃げられるのだ。しかしララはどうやら背後で身動き出来ずにいるらしい。

「ああっ! くそ!」

 カヅキが呻くのと同時に屍食鬼の爪が椅子の足を握りつぶした。残った座面の部分をカヅキは屍食鬼の目に向けて投げつける。
 さすがにそれを無視することは出来なかったのだろう。彼は手で目を庇った。

「来い!」

 ララの手を掴む。そのまま家の正面へと回ろうとして、そうは出来ずにカヅキは愕然と立ち尽くすはめになった。

「……は、なんで」

 カヅキが周り込もうとした家の正面には、屍食鬼がうじゃうじゃと湧いていた。

(4、5、6、7……)

 総勢7匹の鬼がいる。それを確認したところで背後から最初に見たもう一匹が追いついてきた。

(8匹)

 こんなのを相手にただの人間が逃げ回るなどできるはずがない。
 後退ろうとしてララの手を握ったままであったことを思い出した。とりあえず彼女を自分の後ろへと押しのけるがそこは家の壁である。

「……マジかよ」

 うんざりと、カヅキは呻く。
 2人を中心に、半円を描くように8匹の鬼が集まっていた。しかしカヅキがうんざりしたのはその事実に対してではない。
 彼らの手にしているもの、そして今まさにほおばっているものを見たからである。
 それは肉だった。屍食鬼なのだから至極当たり前の光景ではあったが、問題はその肉がカヅキが干していた干し肉だったことである。
 それを見て、カヅキはこの事態に陥った理由を理解した。
 ここに住んでいて数年、カヅキはこんな量の屍食鬼に遭遇したことなどない。それが今、こうして大量発生している理由。
 カヅキは菜食主義者だ。つまり、これまで干し肉を無防備に家の外に干したこともなければ所持していたことすらなかったのだ。
 ――ミヤマが訪れるまでは。

(なんだかなぁ……)

 ここ数日の騒がしさはどうにも全てミヤマが関係しているような気がする。ミヤマに血を吸われたことは勿論、先程の部屋をめちゃくちゃに荒らしてしまった件、そしてこの現状。
 これは、ミヤマに責任をとって貰うべきではないだろうか。

(――いや、絶対そうに違いない!)

 ふつふつとカヅキの胸中に湧き上がる怒り。この世の全てが理不尽に思えて仕方がない。
カヅキ達に飛びかかろうとする屍食鬼を前にして、カヅキの怒りは今、ただ1人の人間に集中していた。

「……っ、ミヤマさーん!!」

 怒鳴る。人はこれを八つ当たり、あるいはやけくそと呼ぶ。

「呼んだかい?」

 しかしそれに応じるいやに静かな声がした。
 それと同時に目の前に迫っていた屍食鬼の首が一気に3つほど吹き飛ぶ。
 ひゅっと息を飲むカヅキの目の前で、

「助けにくるのが遅くなってしまってすまなかったね。武器を探すのに手間取った」

 化け物の首を家庭用の包丁でたたき切った武人が立っていた。
 昼の光が彼の豊かに流れる紅の髪を照らしだす。それに彼は顔をわずかにしかめながらも包丁を構えた。
 突然現われた乱入者に残りの鬼がわずかに動揺したように後じさる。しかしそれよりも早くミヤマは踏み込んだ。
 まず一歩目で目の前の一匹の首を薙いだ。首から血を吹き出して倒れるそれには目もくれず、その右隣にいた一匹を返す刀で切りつける。怯んだ隙にそいつの首に包丁を突き刺した。
 ちっ、と小さく舌打ちを漏らす。どうやらその拍子に包丁が骨に引っかかって抜けなくなったらしい。ミヤマが止まったことを好機とみた鬼が二匹襲いかかったが、それをミヤマは一匹を回し蹴りでなぎ倒し、もう一方へは包丁が刺さったままの死体を振り回すことでぶん殴った。振り回したことによって死体から包丁が抜ける。べったりと血に濡れてもはや何かを斬る力など持たないそれをミヤマは残りの一体の顔面に叩きつけるようにつきだした。
 どさり、と顔面を潰されたそれが倒れる音を最後に、しん、と辺りが静まり返る。

(マジかよ……)

 カヅキは呆然とその光景を眺めていた。
たった1人だ。
 たった1人で、しかもそこらの店で1500円で買ったちゃちな包丁一本で、目の前の男は8匹の鬼を撃退してしまった。
 とうの男はというと本当に全員が息絶えたのかどうかを冷静に確認している。どうやらさきほど蹴りと死体で圧迫した2匹も首の骨を折るなどして死んでいたらしい。
 死体の確認から顔をあげた男の顔を見て、そこでカヅキははっ、と我に返った。

「さすがミヤマさん! ちょー格好いい!!」

 ばっ、と手を広げて賞賛する。

「マジで強かったんですね! ちょっとその身体についてる筋肉って実は見せかけだけで本当は大したことないんじゃないかって疑っててすみませんでした!」
「……疑ってたのかい? ひどいなぁ」
「いやいやいやいや! だからすみませんでしたって!」

 へらり、と笑って見せるカヅキに、彼はわずかに安堵したように肩の力を抜く。

(あっぶねぇ!)

 危うく変な空気になるところだった。何しろ今のミヤマの見た目は非常にえぐい。
 返り血に染まって全身どろどろで、しかも手になんかひしゃげた元包丁を持っている。
 見た目は完全に猟奇殺人鬼だ。
 びっくりしているカヅキ達のことを見て、ミヤマは少しだけ、悲しそうな傷ついたような顔をした。
 カヅキがミヤマに怯えていると思ったのかも知れない。慌ててそうではないのだと、助けてくれて感謝しているのだとアピールしたつもりだが、正確に伝わったのかどうかはちょっと不明だ。
 けれどそれを見てわずかに彼は笑みを浮かべてくれたから、意図はきっと伝わったのだろう。
 彼に駆け寄ろうとして、服の裾をくん、と引かれる。そこでようやくカヅキは背後の存在を思い出して振り向いた。

(やっべ!)

 こっちもどうしようという感じだ。正直カヅキには2人同時にフォローするなど荷が重すぎる。フォロー要員があともう1人欲しい。願っても当然そんなものは現われないのだが。

「カヅキくん、その人……」
「え、えーと、ミヤマさんは、その、お、俺の兄貴……?」
「兄……?」
「あ、すんませんでした、そんな顔しないでください、嘘でっす……」

 どこからどう見ても欠片も似てないだろ、としらけた目を向けられてその場しのぎのお為ごかしも尻すぼみだ。確かにさすがに今のは無理があった。

「ゆえあってこの森で遭難してしまってね、彼が一時的に保護してくれたんだよ」

 困っているカヅキを見かねたのか、ミヤマがやんわりと説明をする。悲しいことにどんなに優しい声と口調を出してもそのご面相と現在の状態が怖すぎて全く優しい雰囲気は醸し出されてこなかった。
 しかし全力でその説明を納得させるしかないカヅキはぶんぶんと首を縦に振って同意する。

「そーなんだよ! この人森で行き倒れててさ、そんで拾ったの! なんか有名な槍使い? の人らしいんだけど、こんな強いとは思わなくってさ!」

 一応全く嘘はついていない。ララはいまだに疑わしげな目を向けていたが、それだけは伝わったのか「そうなの」と頷いてくれた。

「助けてくれてありがとうございます」
「いや、こちらこそごめんね、びっくりしただろう」

 方や美少女が丁寧に頭を下げ、方や強面の美形が恐縮したように腰を折る。間に挟まれて動けない地味顔のカヅキは冷や汗を流すしかない。

「え、えーと、あのさ、ララ」
「うん」

 どうやって切り出そうかとしどろもどろに声を掛けると、ララは皆まで聞かずとも頷いてくれた。

「カヅキくん、その人のこと隠そうとしてたもんね。大丈夫だよ。わたし、誰にも言わないから」

 そう言って微笑むララの背後にその時確かにカヅキは後光が差すのを見た。

「そ、そうなんだよ! 今ってなんか吸血鬼騒動があって知らない人拾ったとか言ったらまずそうじゃん! ありがとう! ララ! お前は天使だ!」
「あら、太陽の乙女じゃなかったの?」

 くすくすと愉快気に彼女は笑う。それに目に涙を浮かべながら、カヅキはララの手を握って振り回しながら叫んだ。

「ララは太陽の乙女だし天使だ!」
「ありがとう、本気じゃなくても嬉しいわ」
「超本気!」

 一通りララの手を振り回して満足すると「あ、そうだ」と思いついてカヅキは慌てて家の中へと引っ込んだ。

「お礼にさぁ、これやるよ。別に面白いもんでもないけど」

 取り出したのは蜂蜜の瓶である。実は暖かい時期は庭で養蜂を行っているカヅキだ。蜂蜜を売ったり物々交換をしたりして生活の足しにしていた。

「あら、嬉しいわ。カヅキくんの作った蜂蜜美味しいもの」
「あ、わかる? 実は抽出の段階で結構工夫しててさぁ、普通とは違って……」
「あ、ごめんなさい、そこまでの興味はないの」

 語り出そうとして出鼻を挫かれる。ちょっと心にダメージを負いつつなんとか笑顔を崩さぬままカヅキは「そ、そっかぁ」と意味のない言葉を返した。
 嬉しそうに蜂蜜をバッグにしまうララの姿を見ながらしょんぼりと肩を落とす。

(そっかぁ……)

 そこまでの興味はなかったかぁ。
 そんなカヅキに首を傾げつつ、ララは「じゃあわたしそろそろ行くね」と手を振った。

「え、あぁ、うん」
「1人で大丈夫かい?」

 ミヤマの質問にララはわずかに目を細めた。

「ええ、大丈夫よ。通い慣れた道だもの」

 思いの外ララは気丈な性質だったらしい。こんなことがあったにも関わらず彼女はしっかりとした話し方で頷いた。

「じゃあね、カヅキくん。またね」
「う、うん、また……」

 しかしその態度はどこか頑なだ。立ち去るその大きな帽子をかぶった後ろ姿に手を振りながら、カヅキは首を傾げた。
 まぁ、だがそれは今はひとまず後回しだ。

「……ミヤマさん」
「うん、なにかな、カヅキくん」

 2人は明るい木漏れ日の中で見つめ合った。その瞳に浮かんでいるのは――諦観だ。

「片付けましょうか」
「………まぁ、そうだね」

 辺りには屍食鬼の死体が飛び散り、扉の向こうに見える家の内部も惨憺たる有様のままだった。
 2人はそろってため息をついた。

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