夏の出来事、実現可能性について
「夏ってなんでもできる気がするよね」
よく聞くこのセリフ。
夏に感じる無限の可能性の源はなんだろうか。
近所の公園から聞こえるセミの声を聞きながら、窓を開けたワンルームでアイスを頬張ってそんなことを考えた。そして、どこか感じるノスタルジックな心地にふと振り返る。小学生の頃の夏休みってなにしてたかな、と。
スマホもなければ、携帯もない。InstagramもTwitterもtictokもない夏に、学校のプールまで走って通った夏に、夢見てた未来はなんだったのだろうか。
10本で198円くらいのパッキンアイスをなにも考えず当たり前に食べてた昔と、300円のハーゲンダッツでも足りなくなった今、いったいいくつ大事なものを失ったんだろうか、そして広がった世界はなんなんだろうか。
真っ黒に焼けた小麦色の肌に、ひまわりのワンピースを着ていた少女と、5分先のコンビニまで行くときでさえ、日傘を指すようになった女性。
オリンピックに出てるお兄さんお姉さんを見て感動し「日本」を心から応援していたあの頃と、日頃働いておさめている税金の一部が使われて、出ている選手は自分より年下もいるそんなオリンピック。
何事においても、恋愛についても、夏の可能性についても、「知らなくていいこと」は確実に存在する。
夏に感じる無限の可能性は、
昔の方が大きかった気がするのは夢か現か。
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