まちがっているもの

これは正しい、これは間違っている。
私は正しい、お前は間違っている。
本当にそうか?間違いがあるのは、予め用意された問いと答えだけじゃないか。

確かに善悪の判断で良くない方向に踏み入れてしまうこともある。生き物を殺すのは、間違っている。いいや、むやみに生き物を殺すべきではないんだ。
正解と不正解、正しいか間違っているか。人の思考や、行動や、思いや、存在に。この二元論が通用するのか。 
知識や経験の少ない子供が判断を誤ってしまうことがある。道を踏み外してしまうこともある。誰かを傷つけてしまうこともある。それらは、するべきではなかったこと。してしまったこと。人それぞれの過去であり、その人の一部なんだ。
だから、何も間違っちゃいない。人格を、存在を否定されたら、その人は殺されるのも同然だ。むしろ、殺されたという深い傷が一生残り続けることになる。
親は子供の間違いを正し、世間の思う、親の思う、「正しい道」へと導こうとする。「道を踏み外してはならない」という。「そんな職業には就いてはいけない」という。「そんな考えを持ってはいけない」という。「なんでお前はこうなんだ」という。挙げ句の果てに、「産まなきゃよかった」という。
人はすべて他人だ。誰も誰かの所有物じゃない。
「自分でまともな判断ができないうちは」、「自分で自立できないうちは」、「社会で認められないうちは」、「管理下に置く」という。「口答えしてはいけない」という。「反抗してはいけない」という。

子供は、小さな、大人だ。
大きくなりながら、多くのことを学んでいく。その早さに差はあったって、大きくなるのが子供だ。あとになってから、「ああするべきじゃなかったな」、(ああしとけばよかった」と後悔する。結局は、自分でしか成長できないんだ。

子供は、親の、創造物ではない。

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