どこにでもいる人間の半生15
私がうつ病となる少し前、両親はアパートに住んでいた。
火の不始末からアパートを全焼させる火災を発生させたが、幸い怪我人は養父のみだった。
姉は絶望していた、人様に迷惑をかけてしまったと、上の階に住んでいた若い夫婦の思い出は全て灰となり、隣の母子世帯にはとても怖い思いをさせた、はたまたお年寄りの世帯…全てを想うと姉はとても心を痛めており、涙を流していた。
当の本人の母は、ことの重大さに気付かず、自分の事ばかり。
養父は火傷で皮膚移植の為入院となった。
この期間、姉は車椅子で不自由な中、立ち合いの際には頭を下げて回った。
母はやっとことの重大さに気づいたのか、頭を下げ始めたと言う。
自分の不始末さえ、子どもに尻拭いさせる、スマホの契約や自動車保険の契約など、これまでは私が母に言われてやっていたのだが、うつ病となり思うように動けず、尚且つ、この親にはもう関わらせてはいけないと言う姉の判断もあって、姉はこれが最後だと言う思いで動き回ってくれた。
あの養父ではあるが、養父の父、母は意外とまともな人なのである。
話を聞くと、それでも俺の息子やから、と弁護士を立てたり、数十万のお金を支援したそうだ。
姉は被害者の方を優先に考えていた。
一度の話し合いの折、養父が退院したら話をしましょう、と言う相手方の意向もあり、姉はまずネットで情報を集め、市役所に行ったり、消防署に行ったりと、車の免許のない母を連れて走り回った。
住処、最低限の家具家電の用意も必要だった。
姉は結局数ヶ月にわたり走り回り、総額数百万をこの母に貸した。
常に叱責し続けて、母はいつも気まずそうだったと聞いた。
人様に迷惑をかけるな、妹に勝手に連絡を取るな、病気が悪化する、孫にはあなたたちが真っ当に生きれるまで合わせない、お酒をやめろ、姉は何度もきつく言ったそうだ。
結果、つい先日、姉ができるサポートが全てが終わった時、姉に養父が言った言葉は、お前は何様か?であった。
全てが終わる前までは人が変わったように演じていたのか、やはり人なんてそうかわらないのである。
そして更に先日、酔っ払って旦那に電話がきた。
その翌日には我が家のチャイムを鳴らして来た。
幸い私しかおらず、寝起きだった為、不在だと思い帰っていったが、不安で不安で仕方がなかった。
ここで、ついに私と姉は弁護士を立てることで、これまでの関係にも何らかの線を引けるかもしれない、と、やっと、絶縁する為に動き始めるのである。
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