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ギリギリネタバレにならないシンエヴァとエヴァ考察

3月11日、ついに私の中のエヴァが終わった。
「シン・エヴァンゲリオン」を観たのだ。

エヴァを初めて見たのは中3の頃だったと思う。出来ればシンジたちと同じ年齢、同じ目線で見たかった物語だったが、こればかりは致し方ない。

中3の頃、私の住んでいる県ではテレ東は映らなかった。ついでに言うならテレ朝も映らない。アニメ好きなら発狂するようなド田舎だ。なのでエヴァが放送されたのは、本放送が終わって二年後くらいだったと思う。よって綾波がシンジの母親のクローンだとか、重大なネタバレはほとんど耳に入っていた。それでもエヴァは物語として楽しめた。毎週欠かさず録画して、学校が終わると同時にチャリンコをブッ飛ばしてエヴァを見に帰ったものだ。

そしておめでとう最終回を迎え、TV版はひとまず終わった。この最終回を巡って随分と論争になったが、私は是でも非でもなかった。ただ、これがエヴァの作者、つまり庵野監督に出来る精一杯だったのだろうな、と思った。

当時から既に同人誌を出していた私は、アマチュアではあるが〆切と終わり方に悩まされるという事はよく経験していた。ましてエヴァは週一放送というとんでもなくハードなスケジュールである。そんな中で急に大団円に終われる筈がない。むしろそんな追い詰められた状況でなんとかやり仰せた庵野監督は、誰よりも「逃げなかった」と思った。それがどんなに物語として破綻していても、だ。

ただ、私がそう思っていても、世間はそれを許さなかった。ファンは破綻した物語をもう一度やり直せと、シュプレヒコールのように声高に庵野監督に迫り、彼はTV版の25・26話を新たに作らざるを得なくなったのだ。それが旧劇場版「Air/まごころを、君に」である(以下旧劇)。

TV版の終わり方に納得出来ないのは分かる。だが、エヴァという物語の根底に流れているのは、頑として「孤独」である。シンジもアスカもミサトも、皆孤独に苛まれていた。他者に対して強固なA.T.フィールドを張りながら、それを突き破るほどの愛を欲していた。そしてそれは庵野監督の事でもある。よくエヴァは難解だと言われる。それは庵野監督が作り上げたA.T.フィールドである。他者に簡単に理解して欲しくない一心で、エヴァには幾層にもなる強固なA.T.フィールドが張られ、単純な理解を拒んでいる。だが、その内部では孤独に苛まれる庵野監督がいた筈だ。そうでなければあそこまでのリアリティを以ってキャラの心情に迫れないだろう。シンジの問題は、庵野監督自身の問題である。それは25・26話の「エヴァに乗る」という台詞を「アニメを作る」に置き換えると理解出来る。つまりエヴァとは、庵野監督自身に他ならないのだ。

しかし、庵野監督のインタビューなどを見る限り、彼の心はまだ孤独に苛まれている気がしてならなかった。エヴァが売れれば売れるほど、曲解され解釈は捻じ曲げられる。キャラクターに人気が出ると、二次創作によって好き勝手に弄られる。私は根っからの腐女子であるが、一度もエヴァで同人誌を出した事がない。何故なら、エヴァはアニメの世界線が絶対であり、そこから外れるのは私にとって虚構だったのだ。同人誌はその虚構こそを楽しむものなのだが、エヴァに関してはそれがどうしても出来なかった。ちょっとしたギャグでも描けなかった。理由は未だに分からないが、多分エヴァに呼応するものが私にもあったのだろう。

ただ、エヴァの同人誌を読むのは好きだった。自分では出来ない事だからだ。しかし、読んでいると、だんだん「僕の、私の考えたエヴァ最終回」みたいな文章が後書きに増えてきた。それは多岐に渡り、妄想めいた話からTV版最終回の学園編の延長みたいなのまであり、玉石混交といった感じだった。皆が新しく生まれ変わったエヴァに甘い期待を抱いていた。今度こそ大団円で終わるだろう、と。

そして旧劇が公開された。人と人との殺し合い、無惨に啄まれるアスカ、引き起こされるサードインパクト。そこに見事なまでに救いはなかった。エヴァファンが抱いた甘い期待を木っ端微塵に打ち砕く内容だった。そして最後に残されたアダムのシンジ、イブのアスカ。シンジはアスカの首を絞め、そして泣く。アスカが「気持ち悪い」と呟き、映画はにべもなく終わった。

正直言って大団円だけにはならないだろうと予測していたが、これほどまでにファンの期待をことごとく裏切り、傷付け、救いのない物語にしたのか、と衝撃を受けた。後で知ったのだが、アスカの「気持ち悪い」は、最初は「アンタに殺されるなんてまっぴらよ」だったらしい。だが、庵野監督が宮村優子に「君の裸を見ながらオナニーしてる人がいる。君は何て言う?」と聞いた時(女性になんちゅう質問するんじゃ)に、宮村優子が「気持ち悪い」と答え、これが〆の台詞となった。これがトラウマになったファンも多く、皆エヴァから離れていった。

やっぱり庵野監督は立ち直ってはいなかったと、私は溜息をついた。皆が本当の結末を見たいと騒ぎ立てるあまり、また彼は自分を孤独の淵へ追いやってしまった。たった二人だけ残されたアダムとイブですら分かり合えない悲しい結末。せめて庵野監督が作りたいと思った時に作れば、もっと違う作品になっただろうに。ともあれ、これでエヴァは本当に終わった。終劇なのだ、と思った。

そしてそれから何年経ったろう。新劇場版エヴァンゲリオンが公開されると聞いたのは。

エヴァは完全に終わったと思っていた。少なくとも庵野監督の中では。それが自ら捨てた子を腕の中に抱え直し、もう一度一から始めるのだと聞いて、更に驚愕した。

だが、今この時期にエヴァを新たに作るという事は、庵野監督の中でようやく「やり直す」決意がついたのではないか、とも思った。あの時とは庵野監督も随分変わった。結婚もされた。彼はもう「孤独」ではない筈なのだ——その証拠に、エヴァ序のサブタイトルは「YOU ARE (NOT) ALONE.」括弧付きではあるが、ほんの少し希望を感じさせるものであったのだ。

序破Qの感想はここでは割愛する。そして今年の3月8日に、ついにシリーズ最終作となる「シン・エヴァンゲリオン」が公開された。何を言ってもネタバレになる恐ろしい作品だが、抵触しない程度に言うならば、あれほど強固だった庵野監督のA.T.フィールドが完全に消えている事に一番の驚きを覚えた。エヴァとは難解さと常に隣合わせの作品だった。だが、シンエヴァではそれがほとんどない。幾らでも難解に出来ただろうに、非常に分かりやすく答えを提示してくれているのだ。そこにかつて「理解出来ないなら完璧な不理解を求める」と言っていた、庵野監督の姿はない。物語は誰にも分かりやすく開かれているのだ。そこに庵野監督の「優しさ」を私は初めて見た。

とにもかくにも、これでエヴァは完全に終わりである。TV版で怒り狂った人も、「気持ち悪い」でトラウマになった人も、序破Q一気にレンタルしてシンエヴァに挑む価値はある。庵野監督の長い長い苦しみの旅も終わった。これからどんな風景を見せてくれるのだろう。取り敢えず、シン・ウルトラマン楽しみです。


#シンエヴァ #シン・エヴァンゲリオン #映画 #アニメ

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