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自分の母のことが女性として嫌いだ

突然だが私は自分の母が嫌いだ。嫌いというと乱暴だけど、同年代だったら友達にはなっていないと思うくらいには苦手だ。同性として苦手なのだ。
子供を持った今、母親としては尊敬も感謝もある。
よくもまあこんな面倒な生き物をここまで大人にしてくれたもんだと。

友達のような母娘などが、美化されたりもしているようだけど、全くそうなれるとは思わないし、なろうとも思わない。
かといってこれまた流行りの「毒親」なのかというとそんなこともない。
ひどい暴力を受けたとか、ネグレクトされたりだとか
すごく貧乏でご飯が食べられなかったとかは全くない。

強いて言うなら専門学校へ行きたいと言った時に「今そんなお金ない」と納得できる説明もなくあっさりと一蹴されたことを少々恨んでいるくらいだ。

今となっては贅沢な申し出であったことは社会に出て理解はできた。そしてそのおかげで自力で自分の目指すものに食らいついてそれで生計を立てている。なんだか皮肉なもんだ。

自営業を営んでいた両親はわりと贅沢をしていたように見えていた。
ディナーショーなんかへもおめかしして出かけていたように思う。
とはいえ、自分がサラリーマンではなく、自分で商売を始めてからその苦労は理解できているつもりでいる。

私の住まいっている町の求人情報などで時々チェックはするが、
平均時給以上は稼いではいるし、(福利厚生などは計算なしで)
確定申告もしているので、電話料金やガソリン代など経費にできる分、給与所得者よりも税金の部分でメリットすらあると感じている。
その上、多少の家賃入れているものの、親の住まいに世話になっているというのに
子供の習い事はさせられる余裕がない。正直学童保育料すら痛い。
こんな平均給与でシングルマザーの家庭はどうやってやりくりしているのだろうと不思議だ。
話がずれてしまった。

さらに話は急に変わるが、私が人に甘えられないのは親のせいだと思っている。
どうしてもそこから抜け出せない。

最近断捨離の動画を流しながら仕事の作業をしていることが多いのだけれど
その中で「人に助けを求めることを自分に認められるようになる」
みたいないわゆる「気づき」を得るというようなテーマがあった。

私は人に頼み事をされるのは好きだし、断るのが苦手だが、人にお願いをしたり、助けてと頼むことが非常に難しい。自分は承認欲求は強いのにプライドが高いということなんだろう。

わかっているけれど、断捨離をして軽やかに自分のコンプレックスや、思い込みを手放している人たちを羨むばかりでやり方がわからない。

なんで母が嫌いかというと、自分にできない事をさらりとやってのけるからだと思う。正しくは私にできない人に頼ったりお願いしたりだとかをいとも簡単にやってのけているように私には写っているから。

そして母はこどもだった私にも甘えて父の愚痴を垂れ流していた。
父に殴られているのも見た。私がこの人を助けなければいけないと思った。
その呪縛から逃れられず今だにもがいている。

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