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生の『なす』



 子供のころ、採れたての生のなすを食べた。実家の裏庭で太陽の光をたっぷり浴びて育った光沢のある立派ななすだ。


 子供ながらに生のなすは大丈夫なのかと心配したが、目の前の祖父が慣れた様子でかぶりつくものだから、私も真似てかぶりついた。
 初めての生のなすはみずみずしくて甘くてとても美味しかった。

 祖父はお花や野菜を育て、種・蕾・芽・花・実、どの過程も絵や写真で残した。


 さらさらと筆を滑らせ、水彩画の絵はがきを描く。じんわり滲んでいく色が混ざり合う瞬間が気持ちよくて祖父の隣でよく見ていた。できた絵はがきは誰かに届けたり、部屋に飾ったりしていた。


 祖父が撮る写真は、縁まで溢れる臨場感があった。それでいてとても繊細で、産毛までくっきりと見えるくらいレンズを近づけ、植物の『いま』を精確に残していた。目立ちたがりの原色の花は素直に喜びを表現出来たと思うが、撮られているほとんどの植物たちはきっと恥ずかしかったと思う。


 祖父は縫製職人で、青磁色の古いミシンがよく似合う綺麗な指先をしている。手の皮が厚く指の側面や手のひらには硬いタコがある。
 入園式にはかわいい真っ赤なドレスを作ってくれた。世界に一つだけの私だけのドレス。本当に嬉しかった。二十年以上も前のことだから、もう着ることはできないが大切に保管している。


 何に対しても寛容で、いつも穏やかで、植物が好きで、ユーモアがあって、楽観的で、とても丁寧で、手先が器用な自慢の祖父だ。


 母は私に
「生のなすはやめておいた方が良い」と言う。

 ひとり暮らしを始めてから、母には内緒で何度か生のなすにかぶりついてみた。




 十年前、天国へ旅立った祖父にはとっくにバレている気がする。



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