日記をつけること。思考の記録。

「他人に勧めるならなにを勧める?」
と聞かれたら私はすかさず
「日記をつけること」
と答えるだろう。

中学生の時からつけ続けて約10年が経つ。
日記をつけようと思ったきっかけは母親からの提案だった。
私は結構自分の感情にも人の感情にも敏感な方で、毎日毎日感じたことを母に話しては怒ったり、喜んだり、悲しんだり、疑問に思ったり感情が大忙しだった。
そんなときに一冊のノートと共に「日記書いたら?」と言われたのが初めの一歩だった。

いざ書こうとすると何を書けばいいんだろう?とノートと睨めっこをし、日々の起きた出来事を時系列で書いていくことにした。
段々面白くなってきて(時系列で起きた出来事だけを書くのがつまらなくもなってきた)、ある一つの事象に対する価値観だとか思想だとかをつらつらと書くようになった。
もはや日記というより思考の記録みたいなものになっていった。

この"思考の記録"って結構大事だと思っていて、感情や思考を言語化することは簡単ではなく、どうやって記録したら今の感情をリアルに残せるのか試行錯誤して言葉にする。
その結果自分の価値観を形として再受できる。
ふわふわしたものを形にして自分の武器にしたような気分になる。
その一冊のノートが私の分身であり、友達であり、拠り所だったりする。

暇なとき、自分がわからなくなったとき、不安になったとき、ふとノートを見返して過去の自分から学んだりする。
「過去の自分はこう捉えてるなぁ、今より尖っている。けどこんな強気な自分、媚びてなくていいな」と感心する。
「過去の思考とまったく変わっていない!世の激動に揉まれて自分が変わっちゃってるかと思ったけど、変わってなくてよかった」とホッとする。
書くことにも、見返すことにも意味がある。

記録は最強のパートナーになる。

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