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3.11 〜あれから12年〜

インフルエンザから復帰した最初の登校日は、激動の1日となった。

4年生の教室に入ると、しょーもないことで男の子数名と口喧嘩をしている友達が何人かいた。

詳しい経緯は記憶にない。気付いたら私も参戦していたのは確かだ。

女陣営は5〜6人だったと思う。それに対して男陣営はわずか3人。10歳の男女に体力差はほぼなかった。

むしろ私たちの学年は、女の子の方が蹴りが上手かったり口が悪かったりと、なにかと強かった。

喧嘩もすぐに終わるだろう。誰しもがそう思ったに違いない。

しかし興奮しきった私たちは、引き際を見失っていた。

机の引き出しを投げられた。ハサミも飛んできて、危うく怪我をするところだった。髪の毛も引っ張られた。

負けてたまるか。蹴り返した。そこにあるモノを投げ返した。口で言い返した。

バトルは授業中だってお構いなし。3・4時間目の図工の時間には、選手一同が教頭先生に呼び出しをくらった。別室に連れて行かれた。

扉を開けると、長机が向かい合って並べられていた。机同士の感覚は、やけに広い。男子選手と女子選手が、たとえ投げるモノを通してでさえも接触しないようにしていたのだろう。

教頭先生の説教など耳に入らない。机の下でメモを回してはニヤニヤする。

この日は午前授業だった。「午後、あんたたちにお母さんに電話するから!」担任の先生は、吐き捨てた。怒る気力さえ失っていた。

けろっとした顔で、学校を出る。この日は、父親の勤め先に寄ることになっていた。

13時過ぎに父と合流する。5階の部屋で仕事をする父とたまに楽しく話しながらも、算数の勉強をしていた。

ガタガタガタガタ。次第に揺れが大きくなる。ビル全体が横に大きく振られている。

2月下旬に、ニュージーランドで大きな地震があった。レストランで食事をしていた人が、あっという間に建物に下敷きになったのを捉えた映像が、頭をよぎった。

ヤバイ。パパと2人で潰されるのかもしれない。ママにはもう会えないのかもしれない。

ランドセルやドリルはもちろん、トロフィーや写真立て、テレビまでもが吹っ飛んでいく。長かった。わずか1〜2分の出来事とは思えない。

幸いにして、私たちは潰れなかった。部屋は色んなもので散らかっている。

ひとまずテレビを点ける。

「1時間以内に東北に大きな津波が押し寄せる」。

アナウンサーが、切迫した表情を浮かべながら、目と言葉で避難を訴えていた。

母との電話は全然繋がらない。電話が繋がるのを待ちながらテレビを見ることしか出来ない。40分が経過した頃だっただろう。

灰色の怪物が、海岸を侵食し始めた。

勢いは止まらない。家や車が流されていく。ビルの屋上に避難していた人が、あっという間に姿を消した。のどかな三陸の町は、色を失った。

花や木々、車や家、学校や人。そこにあった全てが、いとも簡単に飲み込まれていった。

2016年の石巻

夕方、母と電話がつながった。電車は動かないから歩いて帰るという。父の勤め先は幸にして母が居た場所から近かった。この日の夜は、家族3人で過ごすことができた。

私たちが横浜で経験した揺れは、震度5強だった。震度7だなんて…。

2023年3月11日14時46分、私は模擬面接をしていた。あなたは何をしていましたか?アルバイトや仕事、ゲームや昼寝など、何気ないことをしていた人が多いだろう。

同じように12年前の三陸にも、ごくごく普通の日常があったはずだ。

最近は就職活動に時間を取られ、何か大切なものを見失っている気がする。遊びに行く時間、映画館に行く時間、美味しいものを食べる時間、あの子と話す時間、全てを後回しにしている。

自分の将来のために、仕方がないのだろう。納得はしている「つもり」だ。

もし明日、3.11のようなモノが起きたら?きっと後悔するだろう。

だから、毎日を大切に生きていきたい。

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