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死にがいを求めて生きているの

朝井リョウ


「一つ目は、生きがいがあって、それが、家族や仕事、つまり自分以外の他者や社会に向いてる人。他者貢献、これが一番生きやすい。家族や大切な人がいて、仕事が好きで、生きていても誰からも何も言われない、責められない。自分が生きる意味って何だろうとか、そういうことを考えなくたって毎日が自動的に過ぎていく。最高だよ」


「二つ目は、生きがいはあるけど、それが他者や社会には向いていない人。仕事が好きじゃなくも、家族や大切な人がいなくても、それでも趣味がある、好きなことがある、やりたいことがある、自己実現人間。このパターンだと、こんなふうに生きていていいのかなって思うときが、たまにある。だけど、自分のためにやってたことが、結果的に他者や社会をよくすることに繋がるケースもある。」

「三つ目は、生きがいがない人。他者貢献でも自己実現でもなく、自分自身のための生命維持装置としてのみ、存在する人」

「つらくても愚痴ばっかりでも皆とりあえず働くのは、金や生活のためっていうよりも、三つ目の人間に堕ちたくないからなんだろうなって。自分のためだけに食べて、うんこして、寝て、自分が自分のためだけに存在し続けるほうが嫌な仕事するより気が狂いそうになること、どこかで気づいてんだろうなって」

「死ぬまでの時間に役割が欲しいだけなんだよ。死ぬまでの時間を、生きていていい時間にしたいだけなんだ。自分のためにも誰かのためにもやりたいことなんてないんだから、その時々で立ち向かう相手を捏造し続けるしかない。何かとの摩擦がないと、体温がなくなっちゃうんだよ」


1は遥かに生きやすい。だって何も考えずに生きてるだけでそれだけで評価されやすく社会に適応していますって気持ちになれるから。
毎日が平穏で幸せだろう

私は圧倒的に3で生きがいがなくて何も無い自分に嫌気がさして先の見えない未来に怖くなる
ただただ自分の為だけに生きているのが怖くてたまらない
自分の為だけに生きようと思えるほど強くもない
誰かのために、社会のために、自分の為に生きることが見い出せたら、そう思えたら、幾らか生きやすいだろうか。
生きている間に何者かになりたいけど平凡な私は何者にでもなれない
だから生きていていいって思えないから死ぬまでの役割すら無いのなら早く死んでしまいたいと思う
死ぬ理由も生きる理由も無いのにそこばかり探して「いっそ死にたい」と嘆いては「じゃあ死ねば」「生きていたらいい事があるよ」と無責任な言葉が投げられる
死にたいわけじゃないただ何か意味があって欲しいだけなんだ
生きていた意味が。そうじゃないとこんな苦しい世界生きることが辛すぎるから
なにか目標があって何かと衝突して、摩擦を起こして、熱を感じて、そうじゃないと生きているって気がしない
生きているのに自分が冷たい、体温を感じないんだ
弱いすぎる私は何か意味が無いと怖いし何も感じないんだよ
生きているって温もりや熱を感じたい、そうじゃないと死んでいるのと変わらないんじゃないかって思ってしまう



「ナンバーワンよりオンリーワン、それぞれの個性を大切にしようという風潮が強くなり、誰とも競わなくていい、比べなくていい、対立なんてしなくていい世界が訪れるものと信じていた。
だけど人間は、自分の物差しだけで自分自身を確認できるほど強くない。そもそも物差しだってそれ自体だけでこの世に存在することはできない。ナンバーワンよりオンリーワンは素晴らしい考え方だけれど、それはつまり、これまでは見知らぬ誰かが行ってくれた順位付けを、自分自身で行うということでもある。見知らぬ誰かに「お前は劣っている」と決めつけられる苦痛の代わりに、自ら自分自身に「あの人より劣っている」と言い聞かせる哀しみが続くという意味でもある。」



今までは既存の物差しで生きていた。それでいてよかったのに多様性というものが広まり、それを受け入れよう、それこそが個性で伸ばそうという風潮が広まったことによりすべて自分基準になった様に感じる
多様性が広がって誰とも摩擦を起こさない、様々な思想とかを発信しやすくなったし、受け入れられるようになったと思う。平和的な世界になっただろう
生きやすい人も増えただろう
だがしかし、オンリーワンの方が遥かに難しいと感じる
何者でもない、生きる意味も死ぬ意味もない、何も持っていないと感じる人間からするとオンリーワンを見つけ出すほうが難しい
素晴らしい考え方と共に息苦しさを感じる人も一定数いるといということ

なにをしても自己責任。自己責任より他者責任にしている方が自分を責めずに図々しく生きていけるだろう
オンリーワンが広まると共に人と比べない。
比べてはいけないというのも広まったんじゃないのか?
オンリーワンの個性をみんながみんな出せる訳じゃない
誰かと比べて順位を基準に生きている方がゴールがあってそこに向かって走り続ければいい
ゴールが見えていればステップを踏んでいけばいい
何も見えない砂漠に放り出されてあるかも分からない湖を探し続ける方が遥かに苦痛で難しい
私は後者のように感じる。
個性やオンリーワンが輝くのは選ばれた一掴みの人達だけで一般に生きている私にとってそんな個性なんて人と違って異質な存在はノイズでしかない。
人と違っていいのは何か秀でものを持ってる人だけ。
著名人、配信者、YouTuberそういった人たちは個性、オンリーワンがある方が輝くだろう。
それが人の目を引くだろう。
そうでは無い私たちは?
人と少し違う個性なんて生きにくいだけ
誰かと比べることは確かに愚かだろう
しかし誰かと比べないと自分の価値や自分の在り方が分からない人もいる
自分だけの物差しで図る方が難しくないか??
その物差しが本当に正しいのか世界から見て違うのか分からない
わかる必要もないなのかもしれない
でもしかしそれがズレていてなにか起こしたら??
それでも個性だからと受け入れてくれるのか?
そうじゃなかった
世界がみんな平等に、平和に、みんながみんな幸せになれる未来なんて難しいんじゃないか。無謀だとすら思う。


私も生きがいを求めてるんじゃなくて生きていていいって生きててよかったと思える死にがいを探しているんだと感じた

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