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法人を設立したら、フラッシュバックに苦しみメンクリへ通院し始めた話

2023年2月、法人を登記するために神戸へ行ってきた。
仕事も辞め、代表理事という名のもと無収入生活が始まった。

ともあれ、悲観的なスタートではなく、自分の気持ちの消化として始めた法人活動は毎日が充実していた。
法人設立の経緯についてはまた後日投稿することにする。

フリースクールを立ち上げたのだが、開校前には新聞に掲載していただき、見学に来てくれる方もいた。

新聞を取っている年配の方からは「新聞載ってたね」と声をかけて頂いたのだが、まさか市役所内を回っているとは…
その中で運良く目をつけて下さった方がいたので、電話を頂いた。

要件としては、「講演の希望があればしませんか?」と言った内容だった。
これはチャンス!
掴んだ獲物はデカい!

講演する事が確約はされていないにしろ、無名の素人が立ち上げた法人に対して素晴らしいお声がかかるなんて…
ありがとうございます。

講演の内容としては、『不登校への偏見や、不登校家庭への地域の溝をなくそう』と言ったものだった。
「当事者に話してもらうのが1番届く言葉だと思うの」と。
分かる。専門家がどれだけ言葉を並べようと、経験者とは全く違うのだ。

と言うことで自己紹介から始まり、フリースクールを立ち上げたら経緯を書き出すこととなった。
書くことは簡単。
こう言う事で傷付いた当事者もいるんだよと当事者目線での話をしないといけない。
むしろ、それができるのが醍醐味と言っていい。

しかし、だ。
過去の記憶を掘り出す作業なくして市役所へ必要書類を提出する事はできない。

と言っても、1時間もない講演時間なので「〇〇って事があって嫌だった」と5つくらいに絞ろうと思い書き始めた。
記憶力は良くないのに蘇る記憶たち。
もしかしたら記憶の改竄があったかもしれないけど、私の記憶は思い当たる期間の中で振り返っても全く同じものだった。

過去を掘り起こす作業しんどい…しんどすぎる…
まとめるのも程々に一回担当者に会いに行く。
ザッと目を通してくれた担当の方が「犯罪じゃん」と呟く。
これって犯罪なんだ。
今なら分かるけど、当時の私は仕方ない。耐えないと。早く終わってくれ。なんで私なの?
誰にも言えない思いを抱えていた。

小学生の頃から、嫌な事があってもすぐに忘れるようになっていた。
日が沈めば「今日が終わる」とホッとし、朝が来ると「また学校に行かなきゃいけない」と嫌気がさす。
その時はなぜ学校に行くのが嫌なのか分からないまま、ランドセルを背負い家を出た。

今なら分かる。
今日も叩かれるかもしれない。「NO」と言えない重圧を感じつつ、息が苦しかった。
理由を説明されない教師からの否定。

しっかり蓋を閉めていたのに溢れ出す思い出。
それに伴って苦しかったあの頃の自分が悲鳴を上げている。

今なら別の選択肢も取れたのにね。ごめんね。
いっそのこと死んでしまっていればよかった。

記憶は曖昧だけど幼児期にあった性被害。
せっかく楽しかったのに性被害で泣きながら誰にも言えなかった高校生活。
見たくなかったものがどんどん溢れ出てくる。

息苦しさ。動悸。涙が溢れ出る。

あの頃の自分はどうすればいいか分からず、学校には行かないといけないものだと思い込み、ランドセルを背負って家を出た。

学校以外にも居場所はあるんだよ。無理しないで。苦しんでまで学校に行かないといけないわけじゃないんだよ。
と抱きしめてあげたい。

先日、メンクリへ行った。
落ち着いていた症状がまたぶり返してるんです。と言った感じで。

前と同じお薬を処方してもらった。

これで楽になると思った。
が、現実はそんなに甘くなかった。

「弟が帰ってくる」と母から聞く。
絶望的だった。
フラッシュバックするいじめに性被害。

初めての性加害者は弟だった。

昼近くまで寝ていた私の体を触った。
私は起きたばかりで体は動かさなかったけど、意識ははっきりしていた。
「気持ち悪い」心の声は音にはならなかった。

「気持ち悪い」ふと口を突いて出る言葉。
「そんなこと言わない」と母が咎める。

「あなたが遅くまで寝てるからでしょ」と言われる気がして、性被害の事実はそっと胸の中にしまった。
あの時、相談していたら救われていたのだろうか。
分からない過去に縋るのもみっともないかもしれないけど、相談しなかった私の心の傷は一向に癒えない。

今日、私は耐えきれずメンクリに行ってきた。
弟が帰ってきてからの異様なまでのイライラ。
フラッシュバックする記憶と息苦しさに動悸。

「助けてください」と私が言える場所。
元々2つだった薬が3つに増えた。

これで普通の生活に戻れるのかな?

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