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今朝の味海苔のこと

白米と味噌汁だけの朝食をとっていたときに、長女がキッチンから味付け海苔をもってきた。

うちは食卓には基本なにも置いていない。
作業机としても使っているテーブルだから、使った後は、テーブル上に何も残さないことを原則にしている。

だから、必然的に、食事中に醤油がいるとか、ご飯のおともが欲しいとなったときには、めいめいに、キッチンや冷蔵庫まで取りにいくことになる。

さて、味付け海苔は、家族みんな好きなのだけど、わが家ではたいていの場合、長女がきっかけになって食べることになる。

家族のなかでいちばん食べるペースが早い長女が、食事の終わりごろ、お茶碗に微妙な量の白飯が残ったあたりでキッチンへ味海苔を取りに行く。それを、わたしと次女が、「わたしも〜」、「わたしも〜」と言ってまわしてもらう。そんな流れ。

今朝もまた、長女が持ってきたのを目にして、「味のり美味しそうだな、食べたいな♡」と感じた。今ここにいる私が食べたいというよりは、内側からうわっと来る感じ。

それで、今朝もいつもの調子で、「あ、わたしも食べたい!」と言って、海苔の容器をまわしてもらおうとしたのだけど、口に出す前に、「あぁ、なんかいつも持ってきてもらっちゃって悪いなぁ」、「これじゃあ持ってきてくれるのを当たり前に待ってるみたいだ」なんて考えが頭をよぎって、「食べたい」って感覚を抑えこんでしまった。

すると、容器から海苔を引っ張り出そうとしている長女が何やら苦戦し始めた。

よくよく観察していると、どうやら、1枚だけ取り出したいのに、どうやっても、3枚も4枚もと、海苔がくっついてくるようなのだ。

あらま…、ごめん…。それ、きっと私の分…(-。-;)

「いっぱい取れちゃったなら、食べきれない分は、私がもらうよ。」

そうやって、味海苔はけっきょく、私の口にも入ることになった。

…本当に必要なこととか、求めていることって、こんな風にして、思いがけず叶っていくことがある。

だいたい私は、食べることに関しては、とんと勘が鈍くて、『体が必要としている食べ物』とか『必要なタイミング』とかに気づきにくいところがある。

それどころか、意識下では、自分はそれほど食に欲がないとか、そんなに食べなくても自分の体は大丈夫だと思っていたりもする。

でも、たぶん、本当は全然そんなことはなくて、肉をたっぷり必要としているのに、それに気づかず必要な量を食べずにいたら、なんだか最近やる気がわかないなぁなんてことになるし、食べるべきタイミングを逃したら、手足がぷるぷる震えてきたり、やたらと眠気がおそってきたりもする。

つまり、食に関しては、『本当のこと』が意識に上ってきにくいところがあるのだと思う。

それは、おそらく、私の育ちに関係があるのだろうと思う。

田舎で大皿料理が基本だった家で、私の母は、家族みなが食事を終えるころにやっと食卓について、大皿に少量ずつ残ったおかずを片付けるように、ひとりで食べる人だった。

「お母さんはいいから、先に食べなさい。」

それが口癖だった。

父や姉は、自分が好きなおかずが目の前にあると、『等分』という考え方などこの世に存在しないかのように、好きなだけ自分のお皿にとって平らげてしまう人だった。

例えば、煮しめの豆腐。どんなにたくさん盛ってあっても、母が食卓につく頃には、いつも1切れか、あっても2切れ程度しか残っていなかった。

末っ子の弟は、ほんの時々、個別に盛られた状態でサーブされたおかず、例えば魚のフライなんかが自分のお皿から無くなってしまったら、もらえて当然と言った様子で、「お母さんのちょうだい」とニコニコして言ってしまえる子だった。

そんなとき、母も、当たり前のように、自分の分だったはずのおかずを全部弟にあげていた。

そんな家族の様子を見ていて、私はいつも、「お母さんは作ってばっかりで、自分はちゃんと食べられなくてかわいそうだな」、「なんで他のみんなは、お母さんの分を残しとこうとか、これはお母さんの分だって思わないんだろう」、そんなことばかり思っていた。

自分が食べることは、そっちのけで。

そうやって、食欲よりも頭の方が先立って、自分が食べることよりも、母の分を残しておくこととか、平等に分けることばかり考えていたから、いつの頃からか、自分が何を食べたいのか、どれくらい食べたいのかを素直に感じることができなくなっていったのだろう。

今、あの頃の私に、「お母さんがちゃんと食べることも大事だけど、あなたが、食べたいだけちゃんと食べることも、同じくらい大切なんだよ」、「あなたも、自分の”食べたい”って気持ちに素直になっていいんだよ」と伝えてあげたいなと思う。

さて、長女は、余分に取れた海苔を私が食べると言ったら、私の余計な心配をよそに、ほっとしたような笑顔で分けてくれた。

こんなことなら、最初から素直に、「私も食べたい」と言ってもよかったんだろうな。

育ちから身についていた制限に、またひとつ気づくとともに、そこに、人を利用したいとか、自分だけが得をしたいとか、そういう黒いものじゃなくて、純粋な望みがあるのなら、素直に表現してしまったほうが、万事バランスが取れて、みんなハッピーになるのだろうなと感じた出来事でもあった。

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