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『頑張る=我慢して無理すること』って解釈される感じがあるけど、わたしはやっぱり、わたしのために、愛を原動力に頑張ろうって思った話

わたしがすてきだなと感じる女性は、ぐっと捕らえて離さない、目力をもった人。

物心ついたときから、ずっと変わらない。

その目からは、自分への誇りや、ゆるぎない意志、乗り越えてきた幾つもの困難、全てを受け容れる深い愛といったものが伝わってくる。そのような女性。

一見するとほわんとした雰囲気をまとっておられるような方でも、なんだか惹きつけられる方は、よくよく拝見すると、やっぱり目に力をたたえておられる。

そう。
ちょうどこの本の、とびらの色のようなイメージ。

子どものころから、好んで聴く音楽は女性ボーカルのものが多かったように思う。それも、ゴスペルやジャズやブルースといったジャンルで耳にすることが多い、太くて、パワフルで、誇りに満ちたような女性の声。

観てきた映画も、女性が主人公のものが多かったかもしれない。自分の意志を貫き人生を切り開いていく女性を描いたもの。特に、実在した女性が題材のドキュメンタリー作品には、激しく心を揺さぶられたことが何度もある。

内観の時期に在る今、それは確実に、「誰のためでもなく、自分自身のためにこの人生を歩む」ための力を得るためだったのだろうと、ようやく腑に落ちた感覚がしている。

大家族のなか、しかも姉弟の真ん中っ子という立場で育ち、否が応でも空気を読む能力が磨かれる環境で育ったことに加え、わたしには、「自分の望みに正直に生きる」ことを断念した人生が、いくつも、いくつもあるらしいことが見えてきたからだ。

過去の記憶と、人が何を望んでいるかをいち早く察知する能力、持ち前の器用さのコラボレーションで、他人の期待に応え続けるうちに、いつの間にかその在り方が習慣化し、さらにはこれこそが自分の役割なのだろうと誤解していたわたしに、「そうじゃないんだよー!自分を生きたいんだよー!」と気づかせ、ベクトルを変える勇気を与えるために、小出し小出しで、ヒントをくれていたのだろうなと。

今のわたしにとって、喜びとは、豊かさとは、
自分を知り、どんな自分も受け容れていくこと。

自分の本当の望みに気づいてあげて、
すぐに具現化できることも、
時間がかかることも、
ひとつひとつ
叶えてあげること。

本当の望みに向かって歩み始めると、現実に照らし合わせて考えたときに、どうやったって克服不可能にしか思えない障害があったりもするから、「こんなにも困難に思えることが、本当に望んでいる方向なのか!?、だって、今めちゃくちゃ苦痛だし!」と、疑ってしまうこともある。

そんなときには、ぐうっと踏ん張って、自分と向き合う力が必要になる。

都合よくなだめてくれたり、甘いささやきで逃れさせてくれようとする言葉を探すのではなく、だれにも、何にも惑わされずに、ニュートラルになって、自分のことを知り、自分の本当の望みを聞こうとする、意志や勇気といったもの。

そんなことをやっている自分をドMじゃないかと思ったりすることもあるんだけど、やっぱりそうじゃないんだよね。

だって、過程にある苦痛を経験したくてやってるんじゃなくて、ただ、自分を愛するからこそ、望みを叶えてあげたいからこそ、頑張るのだもの。

それに、なんていうか、本当の望みを叶える過程で味わう「いやだー!やりたくないー!」って気持ちと、本心では望んでないのに、怖れや不安から自分に言い訳してやってるときの「いやだー!」って気持ちって、少しニュアンスが違う。

このニュアンスの違いは、それこそ、頑張って向き合い続けることでつかめていく感覚なのかなぁと思うんだけど…。

たとえば、今のわたしにとっては、このブログを書くことも、インスタを更新することも、本当の望みを叶えるために必要な行動のひとつと分かっているからやっているのだけど、ずっとブログやSNSに抵抗があったわたしは、やり始めるまでは毎回「いやだー!」って思っている。

でも、頑張って、書いて、更新し終えたときには、「っしゃー!今日もわたしよくやった!」、「なんなら、書いてみたら意外と楽しかったかも!」なんて、爽快感とかやり切った感を感じている自分がいて、「はぁ〜、疲れた…。もう嫌…。」とは決してならない。

ときには、どえらい出費をともなう行動や買い物が本当の望みのときもあって、普通に頭で考えたら、採算は合わないしクレイジーとしか思えない投資(投機!?)になるときもある。

だけど、それとて、本当の望みのときには「むちゃくちゃ怖いけど、なんとなくやらないといけない感」みたいなのはあって、腹を決めてやってのけたら必ず、その意図を理解し、行動してよかった!と思える瞬間が訪れていて、こんなことにお金使わなきゃよかった…と悔やむことはない。(反対に、欲や見栄みたいなものから動いたときは、後悔しがちだ。)

自分とひたすら向き合うことも、やるまでは、めちゃくちゃ逃げたくなるし、実際に、怖すぎてしばし逃げてしまうときもある。

それでも、向き合って、向き合って、感情の起点になっている原石みたいなものを見つけたときには、複雑に絡み合っていた糸がほどけていくような、なにか温かいものが泉から湧き出てくるような、なんとも言葉には表しがたい、深い喜びを感じる。自分のために、向き合ってあげてよかったなぁと、心から感じる。

だからね、頑張るのです。

今また、ちょっとした節目にあったわたしに、ドンピシャのタイミングでこの本がやってきてくれた。

この本の存在に、登場する最高に格好よい女性たちに勇気を分けてもらい、わたしはわたしを愛するために、ここからの1年もまた頑張ろうと、今ここにいる自分と、内側深くにいる自分と確かめ合っている。