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黄色い通学帽!学校のきまりに反抗した娘!

我が地域では通学帽がある。昭和の頃と変わらない黄色い通学帽だ。   昭和の頃から不思議な常識を両断すべく、今回は黄色い帽子をめぐってバトルを決行しました。

この帽子について我が子は「被りたくない」そう訴えてきた。      当然私の偏屈な考えでは全くもって必要性を感じず、どっちでもいい為、

「 被りたくなければ被らなくて良いが、一応必要に迫られる事もあるだろうからカバンの中に入れておけば 」

そう伝えて学校に行かせていた。

私の考えでは、立証が難しい事を無理にさせる事はしないのだ。     

学校給食も食べたくないなら食べなくてもいい。            宿題をやろうがやるまいがどっちでもいい。

ただ、学校給食を食べなくて怒られたとか、宿題をやらずに怒られてもいちいち先生の元に必要性を問う事もない。

ただ、うちの子は生トマトを食べると吐く。              牛乳を飲むと吐く。又は給食後の休み時間まで飲むまで机にいさせる。

こうなると私は学校に口を出す。

普通に考えて、「嘔吐する」時点でもう無理だろう。その辺りになると流石に言うのだが、他は全部子供たちの判断に任せているのだ。

しかし今回黄色い帽子強制事件は私に憤りを感じさせた事件であった。

怒りの原因は

「黄色い通学帽を被らないと学校に入れない」

「学校のきまりだ」

「下の兄弟が被らないのはあなたが被らないからだ」

この三点が言われた内容と、子供にも言っておいたが、父親が被っても被らなくても、あくまで推奨だからどちらでもいいという内容を伝えればいいと言って本人に話をギリギリまでさせていたのだが、「推奨とかそういう話じゃない」「学校の伝統だから」←( これは先生側は言っていないと言い張っていた。小3の子が思い付きで学校の伝統だからと盛って親に伝えるとは到底考えられないのだが…… )

この理由で担任の元へレッツゴーの決意を固めた。           因みに今回この先生に文句を言うのは2度目である。他の学年の先生もうちの子でお世話になっているが、このように揉めた事はそうそうない。むしろ性被害に合いそうなときに色々手助けを教頭先生なんかは尽力してもらったりで感謝のほうが多いくらいだ。

まずは教育委員会に電話で確認です。

黄色い通学帽はどの機関が取り決めて誰に責任の所在があるのか。

これは児童へ命令なのか、それとも推奨なのか。

実はおおよそ検討はついていたが、あくまでも再確認の為連絡した。

結果は思っていた通り

各校長が取り決め、児童へはあくまで推奨。             元々代々黄色い帽子を被るという伝統もあながち間違いではない。

ただ考えてみてくれればわかるが、女子はないが、男子の黄色い帽子には

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この変身メッシュがある。

きっとあくまでも安全の為と言うだろう学校側があまりにしつこかったら言おうと決めていた。

こんな大人の怪しい仮面舞踏会のような

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ものをして遊んでいる小学生は果たして安全か?

そもそもこれは仮面舞踏会ゴッコをする為でもなく、もちろん何者にも変身できるわけではないうえ正式名称が前立メッシュと言われる見たままの名前であり、キャップの前立部分補強のための芯材だそうです。これすら先生方で答えられる人は少ないでしょう。

参考記事:野球帽の裏面にある白メッシュが、何のためにあるか知っていますか!?

歴代の名だたる校長が当時量販店に売っているようなものでもない為、決まったお店で売って絶対にバックマージンをもらっていたに違いないと容易に昭和の醜さが伝わってくる代物だが、現在ではそのような物が、近くのイオンに行けば売っているため、そのずぶずぶの関係は消えて、果たして意味があるのかどうかよくわからない決まりだけが残っている、よくある事なのだろうと想像できますよね。

※後で聞いたら量販店に売ってない事が多いそうです……ではますます…

確かめようがもうないのであくまで想像といっておきますが( ̄ー ̄)ニヤリ


【 問題は簡単!きまりとかではなくて、先生が普通のレベルかそれ以下か】


そんな間違いがないかを確認して学校に行きました。

私が言った質問は大きく分けて

「なぜ学校の決めた帽子を被らないと学校に入れないのか」

「そもそも通学帽は、命令なのか推奨なのか」

途中途中教頭が割って余計な事を担任が言わないようにまとめようとするのだが、それすら止めて、担任に追い込みをかけるように聞き続けた。

担任の先生は

「学校の決まりであり、安全の為に必要だから」と答えた。

また「下の学年の子も真似をするから」とも答えた。

私は

「では誰がそれを決めているかわかりますか」と尋ねた。

そうしたら担任の先生は知らなかった。

黄色い通学帽は学校の校長が当時文部省なんかで被らせた方が安全の為に良いよね。とか恐らく決めた時にその権限を各校長に与えた。

普通に考えれば安全というより、その帽子を特定の場所にしか売っていないわけだから、文房具屋あたりが「是非うちにやらせてください」ってお願いしますよね。

校長は当然素敵な方にそれをお任せしたいわけです。

だから最初に取り決めた校長が黄色い帽子を被るようにと決めて、裁量権は校長にあるのです。

ただ、昨今別に黄色い帽子になんのメリットもなくなったのでしょう。世間の流れで恩恵もなくなり、それどころか黄色い帽子を被っているのが、一年生だけとした小学校では一年生だと近隣にバレて、変質者に襲われる事態が起きたり、どっちか見分けのつかない大人びた小学生も黄色い帽子を被っているお陰で変質者に襲われたりとデメリット多くない。という事で帽子を廃止にしている学校も多数あります。

なので視認性の問題を言われましたが、「では、黄色い帽子を被っている時とそうでない時で重大な事故が発生している違いの統計を教えて下さい」と言ったら当然応えられませんでした。ようは慣例的に言っているだけで先生も考えてもいないのが現状なのです。

(因みに関東の私立小学校の制服も帽子も多くは紺です……もうなにがなんやら…)

下級生が真似をするのは、親の問題と先生の必要性の説明が絶対的なものではないからです。子供のせいではございません。

なんとなくキマリだからと言って説明したり、完璧に黄色い帽子に救われた判例がなく、なんとなく目立つから視認性が広がるのであれば、まず先生方が普段から黄色い帽子を被っていなければ嘘なのだ。

先生にも言ったが、視認性だけが目的であれば小林幸子みたいな服装で歩けば黄色い帽子はいらないですよね。と質問したが当然答えは帰ってこなかった。しかし理屈が視認性を上げるためにあるというのであれば、SACHIKO KOBAYASHIの格好をしていれば黄色い帽子は免除するべきなのだ。

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まず先生は生徒のお手本なのだろうから、イオンに行くときも、フランス料理を食べに行くときも、渋谷に遊びに行くときも、好きなあの人にプロポーズする時も外出するならいつも黄色い帽子を被っているなら説得力はあるが、大人は自分で気をつけれるからとかなんとか言って先生自身が恥も外聞もなく被らないから子供だって必要性を感じないのだ。


きまりについても、「ニュースとか見られませんか。先生は。むかし橋下元弁護士の市長さんが国家を歌わない教員に対してこれは教育委員会からの命令であるから先生は歌わなければなりません。だが、生徒が歌わないのは自由です。児童に対しては強制権はありません。そう答えています。あなたがやっている事もそうです。きまりと推奨は違い、推奨を促すのは構いませんが、決まりというのは明らかな嘘です」と言いました。

先生自身がどこまでの裁量があり、言っている事に矛盾がある状態って民間では考えづらい状態です。

平社員は後輩の格好が不適切だからと会社に入れられないよって言い、勝手に家に帰れと命令する事は出来ません。命令どころか、発言もしません。当たり前です。すぐに上司なりに相談するのです。それを決めるのは規模にもよるが、権限がある者だけです。パン工場でもそうです。きちんと髪の毛だの爪だの支障がないかどうかをチェックするのは多くの一般社員。そこで問題があっても裁量権を与えられていない限り会社から会社の都合で「帰す」という権限は与えられていないから工場長であったり、人事課の裁量権を持っている人に確認をし、初めて帰す帰さないが取り決められるのです。

担任の先生も本来は同じはずなのです。あくまでも国の組織の一員です。文部省が取り決めた事を県におろし、公立の小中学校の管轄は各市町村の教育委員会に委ねられ、そこで取り決めた内容に沿って学校の校長は指示に従い、ある程度の裁量権を校長に委ね、それを担任は従いなるべく問題の無いように子供たちを導くのだが、警察のようながっちがちの縦社会があるわけではないので、担任が自由奔放すぎて結果変な言動をはく能力値の低い先生が野放し状態になっているのです。

少なくても校長に相談しなくてもある程度裁量が任されているレベルは、

「血が超大量に出ていて明らかな重症」→病院に連絡その後報告

「突然意識不明の重体」→病院に連絡その後報告

担任の判断で出来る裁量権はこのレベルであって当然なんだと思う。

だから以前熱中症で亡くなった生徒は、能力値の低い先生が、人はどの温度になると熱中症にかかり、命を落とすまでいくかは亡くなった児童が犠牲になった事で始めて先生はその知識を得て、上からのお達しで考えを改めたのだ。原因は頭の悪い先生に裁量を与え過ぎて自由奔放だから児童は死んだのであって、いまだに裁量権について理解をしていない能力値の低い先生など追い込んでもよいとすら思っている。

(どうせ子供が死なないと国は動かないのだから、親として遠慮なんかしない。そもそも私が子供の頃なんて運動中などに喉が渇き、水を飲むことは悪だぞ笑)

昔みんながうっすらと感じていた先生の当たり、ハズレは与えられている裁量権の徹底のなさと先生自身が「きまり」と「推奨」の違いがわかっていない事なのだ。

ただ、全部を覚えてアウトプットできるほどの能力がないから「公立の先生」であり、優秀な先生は偏差値の高い私立小学校にいたり、そもそも官僚になっているので組織の中ではいわゆる最底辺です。

学歴で言えば私は中卒なのでともかく、先生より優秀な大学に行った方なんて山ほどいるのではないですか。先生なんてそんなもんです。

地方公務員の警察官もどんなバカでもなんとなくこなせるのは、組織ががっちがちだからです。

しかし先生は当然警察学校のような厳しい訓練を受けているわけではないので裁量の程度がわからなくても、利口な先生はなんとなく問題にならない、いちいち親御さんにムカつかれない程度にフワッと事を進める事ができるいわゆる「普通の先生」が出来る先生と、「いちいち反感を買うような能力値の低い先生」で当たり、ハズレが決まってしまうのだ。

私は公務員になった事がないし、先生なんて職業は尚更向いていないと思うが、民間でいう「ライン工場職員」みたいなものと考えていて、もし私が先生になったらひたすら問題にならないよう、我を出さないことだけを考えて職務にあたると思います。ライン工場でもそうだが、我を出す=邪魔だからだ。

だって目的は国からもらえる様々な「恩恵」と「安定」が魅力な職業であり、それをいただく事がなによりの職業で、わざわざ問題になるような事は言わないし、子供がちょっと捻くれていようが、問題を起こそうが事なかれですむようにだけ心血を注ぎ、その子供が将来どうなろうが私なら知ったこっちゃないと思うよなタイプですが、ほとんどの先生が、実はそうであると思っております。だってあくまで仕事であり、ムカつく子供や親なんてどうなろうと知ったこっちゃないだろうし、ただ公務員という立場を脅かされない為だけに生きていくのは、民間企業の一般サラリーマンとなんら変わらない思考回路だと思っております。先生になる人間だけ特別じゃありません。

最後に、私の小学校三年生の時も先生がポンコツで結果闇の始まりは小学三年生、今回も小学三年生。教頭にもお願いしましたが、どうか普通で構わないので、あと数か月、闇だけは残さない程度にやって下さい。あくまでも普通で構いませんので……とお願いしました。

                                                                                                         RIN

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