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【休職日記】猫のように

休職2日目。まあきちんと休職となる前にも休みはもらっていた、プラス土日祝を換算すると、実質8日目。

風呂に入るという大・大・大試練を乗り越えると、なんでもできそうな気がする。昨日から続く金縛りみたいな幻覚・幻聴に魘されながらもなんとか11時頃に布団を脱出することができた。この前風呂に入ったのは火曜日の夜なので、かれこれ4日風呂に入れてない。さすがに頭が痒くなってきたし、腕にも謎の掻きむしり痕ができている。今だ、今ならなんとかいけそう、という直感を信じ、入る。入るまでが長いのであって、入ってしまえばあとはルーティーンだ。ただ、いつもより絡まる髪の毛の量がものすごい。手櫛で梳けば梳くほど、髪が抜ける。ちょっとしたホラーなので、機会がある人はやってみてほしい。

タオル一枚、すっぱだかで部屋に戻ってきたのが11時半頃。この部屋は東向きで、午前中がいっとう眩しい。最後の日差しがすっぱだかの肌に光る。こりゃあなんでもできるぞ、今日はお散歩だって出来るかも、ちょっと着替えとお化粧だってしちゃってさ。と思いながらiPhoneを弄っていると、なんとまた恐ろしい睡魔が襲ってくる。まぶたがぶよぶよたるんだ犬の腹みたいに落ちてくる。前言撤回、ロフトの布団に戻る。さよなら本日の光よ。

寝て起きて、を繰り返す合間に、文鳥と遊ぶ。普段はロフト下の下界に鳥籠を置いているのだが、休職中下界に降りるのが非常にしんどく、文鳥も天上(※ロフトのこと)に引っ越してもらっている。わたしが布団で寝転がっていると当然のように布団の中に入り込んで巣作りしようとするので、潰さないように注意しながらも必死の建築活動を見つめ、時々威嚇され、時々掌の中で甘えられて嘴の音を聞く。12月、残業が酷く毎日全く遊んであげられない日が一ヶ月続いた時には顔を見るだけでキレられた。さながらあんたどのツラ下げて帰って来てんのよ!と言わんばかりである。それも終わり、さらに休職も始まったので、文鳥も心もち機嫌が良さそうである。ただ12月の一件で攻撃方法を覚えたのか、鳥籠に帰る際指の肉を1ミクロンだけ咬まれるのは勘弁してほしい。まあでもずっと隣に生物がいてくれるというのは、少し落ち着く。

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思えばずっと添い寝の願望がある。この子が来る前からずっと。友達でも恋人でも名称はなんだって構わないのだが、自分の心の許した人と同じ毛布を被って眠りたいという願望。添い寝までといかなくてもいい、膝に頭を預けるだけ、いやそれも贅沢、頭を撫でてもらえたら、と何度も何度も想像して、よく想像の誰かの手に撫でてもらっている。人の頭を撫でるのもけっこう好きで、別れ際にかわいい友人や親戚の頭を撫でた時、「久しぶりに頭なんて撫でられた」と言われた記憶が幾度かある。何なんだろう。独りが好きな寂しがり屋という自覚はあるのだが、もっとキスとかセックスとか、そういう方面に走ってもいいものを。赤子のように扱われたいのかしら。子供でいたいのかしら。子供というよりかは猫になりたい。子が親に、そして親が子にそうであるように誰かにべったり依存して離れがたい関係になりたいというよりかは、野良猫でいたい。自分の独立性、わたし、を保って、個と個のまま愛しあうことができるんだという、夢を見ているのかもしれない。わからない。その奥に何があるのかはまだわからないし、怖いから、ここまでにしておく。にゃーん。

文鳥がわたしの指に頬を撫でられ、頭をこねられ、うっとりと瞳を細めるとき、勝手にわたしは感情移入して、頭を撫でられている気持ちになる。大好きよ。大好き。大好きがいっぱい伝わってきて、わたしもこの子が大好きだと思う。やはり愛し合っていると思います。わたしたち。

本格的に睡魔が湧き上がってきた頃に(1ミクロンの肉を噛まれながら)鳥籠に戻し、わたしも鳥籠と隣のベッドで再び眠る。起きたら14時くらい。確か。ようやく眠気も耐えられないほどではなくなってきた、ただ起き上がって何かするだとか、本を読むだとか、そういうやる気は何も湧き上がってこない。Twitterの記事の中に、アマプラで見られる映画のレビューがあったので、試しに身始めてみる。珍しく洋画だった。主人公はルームメイトの女の子と熟年レズビアンカップルみたいな関係。彼女がいるからと、彼氏に同居を申し込まれても断るくらい。でもある日あっさりとルームメイトの約束を解消されてしまい、そこから物語が始まる、が、冒頭の女二人が人生を踊るようにはしゃいで暮らしている姿があまりに眩しすぎて、そこでいい、そこで終わってくれ、と思ってしまった。もうここで終わってもいい、これに全てを捧げてもいいような幸福が簡単にほどけて、なくなってしまう過程を見られるほど、今のわたしは強くなかったのかもしれない。結局途中までで閉じてしまった。見たいと思った時に続きを見ることにしよう。

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そんな頃にふとお腹が空いてきたことに気がつく。思えば朝から何も食べていなかった。昨日はやたらと食欲旺盛で、量と質はともかくとして久しぶりに3食食べることができた。カレーが食べたい、と気づく。それも辛いやつじゃなくて、渋い、少し豆とスパイスのざらざらした質感のあるカレー。映画を見ている間に、少し動けそうな気力も溜まってきた。外に出られる気がする。3日前の会社ぶりだ。それがだいたい16時頃。

服装はまあ適当でもいいだろう。適当に落ちていた(本当に落ちている。本当だ)服を拾って着た。化粧も、まあどうせマスクするし近所に行くだけだからと眉だけで済ませよう、と思っていたが、なんと片目が二重になっている。かわいい。それに前髪の癖っ毛がいい感じにはらはら落ちてて、憧れの24歳女性像になれそうな気がする。わたしは世界で一番山吹色が似合う女だ。山吹色についてはちょっとした権威であるといっても過言ではない。山吹色を瞼に塗すと、まあなんと自然で気取らない、わたしそのもののうつくしさが溢れることでしょう。ラフに乾かしたての髪も縛って、300円のイアリングをつけると、本当にいい女が完成してしまった。わたしってそういうところ単純よね。大して可愛く生まれたわけではないが、容姿については割と自分のことを煽て上手だ。なぜだろう。単なるばかかもしれない。

通りの雑貨屋をウインドウショッピングしながら目当てのカレー屋を目指す。よく行くインテリアショップが明日までのセールをやっている。ふらふらと舞い込むものの、特に欲しいものは見つけられず。というか、ゴミと食べかすと書類と本とその他諸々で荒れ果てた現状の部屋にどんな素敵な家具を置いたところで、きっと視界の情報量をさらに増やしてごちゃごちゃにするだけだ。テーブルランプも欲しかったけど、まあiPadの灯りでなんとかなるし。そそくさと出て、あとは素直にカレー屋を目指す。ここいらでは少し有名な店だから待っているかと思ったら、誰もいない。それもそのはず、17時まで中休憩とのこと。現在16時58分。最初は並べてある椅子に座っていようかと思ったが、なんとなく照れ臭くなって引き返し、そのあたりをふらふらする。そうしている間にいつの間にかわたしと似たような女性客が二人ほど待っていて、その後ろについていって、開店。なんとなく一番って、いつも照れ臭い。わたし、自分の苗字が五十音の後ろのほうでよかった。もし相田さんとか、そういう苗字に生まれてたらと思うとぞっとする。だってなんでも一番よ、入学式も卒業式も、なんも悪いことしてないのに。逆に一番を誇りに思うような人生になるのかしら、自分の生きていない人生のことは、いつだってわからない。

カレーって、どうしてカレーってだけでこんなに嬉しいんだろう。この前スーパーで買ってきた引きこもり用食材の中にも数種類のレトルトカレーが自然と含まれてるし、去年一番通ったのは近所のインドカレー屋さんだし。金曜日はカレーの日だって言うし、会社のお弁当でカレーが出るとめちゃくちゃ嬉しい。想定した通りの、今ちょうど舌が求めていた渋めのカレー。途中、常連さんらしい人が来ていたりして、観光客にも人気のお店だと思ってたけどそういう文化もあるのね、と思う。混み始めたのとコロナこわいで、食べ終わったらそそくさと会計を済ませた。店員のお姉さんは、笑うと瞳がやわく細んで、かわいい人だった。

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途中本屋を二軒ほど物色しながら家路につく。心療内科で、ADHDの気質があるかもしれないと言われたのが薄らぼんやり脳裏に引っかかっていて、わかりやすい本を探してみたものの見つからず。どうなんだろう。ネットでけっこう調べてはいるものの、これだ! というような確信は特にないから、恐らく違うと思う。逆に、これだ! と来る病がある人を羨ましく思ってしまう。病名という、世界との共通言語ができるから。いいなあ、ずるい、と内心思ってしまって、それがとても失礼であることもわかっているので、激しく落ち込む。死にたくなる。のループを、中学生の時からやっている。だがとりあえず、自分というものをもっかい見つめ直すための比較材料として、何かしら本が欲しかったんだけど、特に見つけられなかった。ついでに、前に勧められた小川洋子の本も探してみたものの、こちらも見つからなかった。今日はそういう運命なんだと腑に落とし、アイスとパンを買って家に帰った。

家に帰って着替えた途端、文鳥の待つ天上で即眠る。本当に今日は異常に眠い。今度お医者さんに伝えてみようと思いつつ、寝落ちる。再度目覚めると布団の中が異常に熱い。布団の冷たいところが気持ちいい。まさか、と思って恐る恐る熱を測ると、平熱より若干高い。怖い。寝よう。少し文鳥と遊んだあと22時になったので、恐怖にかられたまま薬を飲み眠る。もちろん眠れない。しばらく携帯を眺めていたらいつの間にか寝落ちていた。よかった。そして今、朝6時30半頃、二度寝したら昨日みたいに幻覚に襲われる気がして、この日記を書き始めた。ちなみに熱は下がっていた。安心した。久しぶりに外に出て歩いたから、体が熱っていたのかもしれない。

書き始める前、Twitterで回ってきた鬱の人の漫画を読んだ。


幼少期から父親に虐待受けて、みたいなところから始まって、いろんなカウンセリングやらを受けて治った! って話。それでぼんやり自分のことを思い出していたが、最初に死にたいって思ったのは中学1年生の時だった。理由は全く思い出せないけど、思えばけっこうなことが重なってた気がする。中学受験と引越しが重なり、友達と思うように遊べず泣きながら勉強してたり。中学入ったら入ったで吹奏楽で根性論を植え付けられたり。同時にクラスではいじめられて、数人の話せる子以外全員から無視されてたり。言葉にしてみるとなかなかなストレス量があった時期だ。それから時折死にたい病は悪魔みたいに降りてきて、死のう、死んじゃおう、って何回も考えてきたように思う。でも今思い出しても、なあんにも悲しくないのだ。多分、この悲しくない、っていうのがネックになってるのかもな、と漫画を読んで思った。わっかんない。なんか今、そのこと考えたくない。とりあえず今は、今のわたしに感覚集中させてあげて、眠いって言ったらとことん寝かせたり、カレー食べたいって言ったらカレー食べさせたり、自分のこと甘やかしてだるだる休むにゃん。にゃーん。

8時だ。光が部屋に差し込んでくる。東向きのこの部屋は、朝がいっとう美しい。という話を、何度もしてきた。鬱の人って太陽の光がだめ、ってよく読んできたけど、わたし意外とそんなことないのよ。光のことは好き。夜も好き。だって光のほうが死に近いと思わない? うつくしい死は、きっと目を焼かれるような燦然とした光だよ。

もうすぐ文鳥が鳴き始める。それまでのあいだ、おやすみなさい。もう二度と悪夢を見ませんように。うそ、時々は遊びに来て。マイ・オールド・フレンドでしょ。にゃーん。

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