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多分、この世の中にクズはいない。

クズ男に沼っている女の子の話

よく聞く話でなんでそういう話があるのに、逆にクズ女に沼っている男の子の話は少ないんだろうと思う。多分、同じくらいあるんだと思う。
これはクズの定義と捉え方の問題だと思ってる。

男性は良くも悪くも過去に執着する

男性は恋愛だけに限らず、過去のそれこそ、お母さんとのやりとりから女性に執着がある人が多い。あと競争社会のヒエラルキーの立ち位置を見極めること、女性と付き合うことは遺伝子レベルで種の保存としてインプットされているが、恋愛するまでの人生の過去を背負って恋愛に臨んでいる。つまり過去にがんじがらめになって、自分が死なない(傷つかない)ようにするために、競争に勝つためにはどうすればいいのかと考える生き物なんだと私は思っている。そのために男性は獲得した獲物(恋人)について詳細を覚えている。あくまで傷つかない/競争に勝つための情報なので嫌な思い出はなかったことにするか、それをクズ行動と定義しないことが多い。

多くの巷のクズ男の行動は

結局、「恋愛するまでの人生の過去を背負って恋愛に臨んでいる」ことで得た死なない(傷つかない)ためのスキルがよく定義されるクズ行動(付き合うって言わない/愛情表現がない/DV等々)になってしまうだと思う。

生まれながらのクズはいない。

ここまできいてもともとのクズはいないが人生を歩んできた中でクズが出来上がるから実際はいるんじゃん!と思われるかもしれない。いえいえ、そもそもそれをクズと定義しているのは誰かっていう話。世の中でクズと定義しているだけであってクズ行動なんてものはない。その最低だと罵しられるクズと定義している所、むしろその人の人生の一部。抱きしめてあげよう。もしそれを抱きしめてあげられないなら、むしろ私はひどいことされてても相手が好きっていう自己憐憫の恋か、ひどいことしない時の相手が好きっていう条件付きの恋だと思う。それは相手を「好き」じゃなくてけなげな自分が「好き」になってて、相手をクズにしているのは「あなた」なんじゃないかと思ってる。

性別が男性によって説明してしまったけど、性別関わらずにクズはいないと思う。そこには心に何かを負っている人がいるだけ。その心も含めて相手を「好き」になった時、相手はその重い荷物を一緒に持ってくれる相手に心を開いてこれからも一緒にいたいと思うのではないかな。

恋愛依存の人間が何かしら抱えた人と一緒になっても太刀打ちできる代物ではなく、辛い旅路になるのかもしれない。なぜならそれは恋愛だけではなく、人生をかけた人と人との付き合いになるのだから。

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