見出し画像

ルイ・ヴィトンとゴルバチョフ

2007年、ある会議にてカリスマ的デザイナーのトム・フォードはこう発言した。

「ラグジュアリーは、流行遅れにはならない。ただ、そのスタイルを変える必要がある。ラグジュアリーから空虚さを排し、深みを与えなくてはならないのだ。」

新たなラグジュアリー、つまり「空虚さを排し深みのあるラグジュアリー」を端的に示したのが、ルイ・ヴィトンです。

2007年秋のキャンペーンモデルとして起用されたのは、旧ソビエト連邦最後の最高指導者であるミハイル・ゴルバチョフ

アニー・リーボヴィッツが撮影したベルリンの壁を背景にしたゴルバチョフの写真は、確かに深みのあるものだ。

今までは大女優たちを起用していた路線から大きくピボットしたこのキャンペーンに関して、ルイ・ヴィトンはこう述べている。

「第一に、このゴルバチョフというセレブはファッションの象徴ではなく、世界を変えた人間である。
次いで、彼が持っていたルイ・ヴィトンが主人公なのではなく、その鞄は並外れた瞬間(東西冷戦の終結という戦略的交渉)の目撃者にすぎなかった。」

なぜ、このような含蓄ある発言をしたのか。

それはラグジュアリーが何をもってラグジュアリーとするのか、その法則の1つにある。

というのも、ラグジュアリーは人の上に立たなければならない
それがたとえ、ゴルバチョフのようなセレブであってもだ。

ラグジュアリーブランドは、記者がスターを追いかけるように、スターがそのあとを追いかけるものである。
人の上に立つことで初めて実力主義の帰結としての、社会階層化を生むラグジュアリーの1歩となる。

セレブを広告で起用して助けを頼むというのは、そのブランドが生き残るためにはそのスターの持つ地位が必要だと言っているようなもので、そのブランド自体にそれぐらいの地位はないと認めるようなものだ。

ルイ・ヴィトンがこのような含蓄ある発言をしたのは、ラグジュアリーであり続けるためである。我々ルイ・ヴィトンはあくまで歴史に残る瞬間を目撃するだけの地位ある鞄を製作しているブランドであり、決してゴルバチョフに頼っているわけではない、誤解するな。
といったところだろうか。

ぜひ検索して写真を見ていただきたい。

Instagram

ご支援ありがとうございます!!これからも皆様をワクワクさせられるような記事を書いていきます!!