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社会的排除が起こした災害「ハリケーン・カトリーナ」

  なぜハリケーン・カトリーナは社会的差別が引き起こした災害と言われているのか。それを考えるには災害時の対応や社会的差別を受ける人たちの思考・行動傾向、社会的差別が引き起こす生活様式への影響を考えなくてはならない。
 災害が起こった時の避難計画にはいくつかの前提がある。まず1つに、「車を利用できること」、2つめに「災害時のサービスや資源供給を受けるには市民権の証明が必要であること」、3つ目に「避難するだけの資金を有すること」である。この前提を踏まえた上で、社会的差別を受ける人たちの生活様式を見ていく。
 社会的差別を受ける人、たとえば黒人の方だったり、自立した生活を送れない人たち、そしてそういった層に多く見られる障がいを持つ方、こういった方達はアメリカで白人に比べ社会構造的な理由でお金もなければ知識もない。
 お金がなければどうなるのか。たとえば先にも述べた通り、避難計画には避難できるだけの資金を有することを前提としている。そのため、そもそも避難するためのお金を持っていない、具体的には安全な地区に移動するための自動車を持っていないだとか、バスや電車などのインフラを利用するだけのお金に余裕がないとかである。また、お金に余裕がないということは、災害が起こった時のみ悪影響が出るものではなく、災害が起こる前から災害時に悪影響を及ぼす要因を生み出す。たとえば、お金がないために安い賃貸アパートを借りるが、安い理由は耐震性がないとか、洪水が起こりやすい地域だったりとかする。また、住んでいる家がボロくなってきても、修理するだけのお金がないとか、賃貸の場合は家主がその責任を負うのだが、面倒なためやらないということも多々ある。裕福な層に比べ、貧困層は災害時に不利益を被りやすい構造が存在している。これがたとえば障がいを持っていて自立して生活することができない人であり、そういった人が安全でない建物に住むということは、二重で災害に対して脆弱なのである。
 社会的差別を受ける人は、お金のみならず知識も不足しがちである。インターネットが普及してからは、公共機関はネット上で災害時の対策や必要な備品などの情報を提供するが、お金がない人はそれらの情報を受け取るための機器(コンピューターやスマホ)すらも買えない。そうなると必然的に情報が入らなくなるので知識がない状態となる。知識がないと、どうやって避難すればいいのかわからないということはもちろんのこと、アメリカみたく多様な文化が同じ国に存在しているようなところでは、たとえばスペイン語しか喋れない人にとってはオフィシャルが提供する情報が英語である場合、それを読むことすらできない。コミュニティに生活基盤を置いている少数民族の方などは、その文化に適したメディアを通じて情報を提供されるが、一次情報ではないため情報を受け取るのにラグが生じる。また、知識がない・インテリジェンスがない方は、デマやうそを信じ込む傾向がある。そうなると、公共機関、たとえば政府や消防や警察等を信じなくなり、独自で避難しようとする。その結果、生活に困っても災害時に受けられる公共サービスを受けないという姿勢になり、ますます状況は悪くなっていく。また、少数民族は拡大家族である傾向が高い。災害が起こった時にどう避難をするのか決定するのは「個人」ではなく「世帯」である。人数が多い分、その決定に遅れが生じるのも問題となっている。
 いずれにせよ、ここから言えることとしてはお金がない、お金がないために知識もインテリジェンスも磨かれない、そういったいわゆるマイノリティ(少数民族や社会的差別を受ける黒人等)層は公的機関の支援に依存せざるを得ないということなのだが、社会的差別を受ける人たちは富裕化されたメインストリーム社会から自発的に離れる傾向がある。セルフマネージメントすることに負担を感じるからだ。メインストリーム社会でないということは、秩序が保たれにくいということから犯罪率が高かったり、環境が荒れていたり、公共サービスの質が悪かったり、犯罪に怯え自宅に籠る傾向が強まるため社会的孤立を生みやすい地区だったりする。ハリケーン・カトリーナが起こった際、政府はニューオリンズのルイジアナ州に援助を送ることを躊躇った。犯罪率が高く危険な地域だからだ。しかし、政府からの援助に依存せざるを得ない人がそこに多数住んでいることも事実であった。もし援助をすぐに送っていれば、自立して生活を送れない人を助けられたり、自立はできるんだけれどもお金がなく移動手段がない人たちをサポートすることができたかもしれない。
 本来援助を一番に受けるべき層が、援助が全くない危険な地区に住みがちで、政府も危険なために援助を送ることを躊躇うという最悪の状況が、ハリケーン・カトリーナの時に起こったのだ。
 こういったマイノリティにこそ、政府は豊富な支援を用意すべきなのだが、マジョリティがそれを許さない。「そんなもんにお金をかけるぐらいなら俺たちの生活をどうにかしてくれ!」と叫ぶのだ。政治家は多くの人に投票してもらえなければいけない。マイノリティを助ける前に、マジョリティに気に入ってもらえなければならないのだ。そういった社会構造が差別を助長し、マイノリティはますます災害に対して脆弱性が強まるという負のスパイラルに陥っている。社会的差別というものが災害への脆弱性を強めている、そのことを明確に示したのが「ハリケーン・カトリーナ」なのだ。

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