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植松努さんのお話(教育)

教育の話をする時に私は工藤勇一さんと植松努さんの影響を強く受けている。今日は記事の中の植松さんの話です。

植松: (省略)社会は変わりました。これからもっと大きく変わります。僕たちは古い社会の常識を普通なものとして学んできました。でもそれは今の子どもたちが生きる「これからの世界」では通用しない可能性があります。大人たちが理解できる範囲内に子どもを押しとどめてしまったら、それを強いられた子どもたちは間違いなく、大人世代が達成できたこと以上のところへは行けません。それを何世代も繰り返していったら、日本はあっという間に、ものすごい勢いで衰退していきます。

 ここまで話し合ってきた通り、人が増えている時代は、今まで通りのやり方でやってきても、そのリスクがあまり表面に出てこないで、分からなかったかもしれませんが、これからはどんどん人口が減っていきます。そこでは、いろんな不具合が出てきます。だからこそ、大人が子どもたちを管理するのではなくて、子どもたちを押し上げる存在でないといけないということを本当に忘れないでほしいなと思います。一昔前はスマホもWi─Fiもネットフリックスも、自動運転で動く車もありませんでした。しかしあっという間にテクノロジーが発達し、いろんなことが実現できるようになりました。去年できなかったことが、今年はできるようになるかもしれません。だから子どもたちがやろうとしていることを、自分の過去の経験で押しとどめないでほしいです。むしろ、一緒になってどうやったら実現できるかなと考えてほしいです。どうか大人こそ、子どもたちよりも先に未来を見てほしいなと思います。

https://www.jiji.com/jc/v4?id=20240610booknavi0370006

社会が変わっていく中で教育はどのように変わってきたのか?

「人が増えている時代は、今まで通りのやり方でやってきても、そのリスクがあまり表面に出てこない」
まさに学校で毎年学年末に起こる「前年度踏襲」(昨年と同じことの繰り返し)は昔は良かったのかもしれない。
しかし、変化の激しい現代において何かにチャレンジしない学校は世の中かから見放されてしまうのではないだろうか。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」(かつてツービートが流行らせたギャグ)と危険とわかっていても隣の学校が、隣の校長が、自治体の校長会がなどといってみんな一緒という横並びの意識が学校はとても強いと感じる。

「大人が子どもたちを管理するのではなくて、子どもたちを押し上げる存在でないといけないということ」
それはどのようにするのか?そんなことわかるはずがない。
わからないからこそ様々なことにチャレンジをして、子どもたちを押し上げる存在でなければならない。

私たちは教師であれば、今の社会よりは次の社会へ希望をつないで生きている種類の人間だと思います。次の社会へ希望をつないで、そこに生きがいを認め、そこを生きる人を作ろうと思ってやっているのだと思います。
ですから、みんなが自分の力だと信じ、先生のことなんか忘れてしまってくれれば本懐である(省略)

大村はま 「新編 教えるということ」から

教育者の大村はまさんもこのように述べていた。
私たちは未来を創る人を育てるということを仕事にしている。

そのためには私たち自身が時代に取り残されずに、どんな未来になるのかを想像して、知識を更新していかなければならないのだろう。

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