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主体性は取り戻し、保つもの

私は中学校の教師である。

文部科学省は「主体的・対話的で深い学び」の視点に立った授業改善を行うことで、学校教育における質の高い学びを実現し、学習内容を深く理解し、資質・能力を身に付け、生涯にわたって能動的(アクティブ)に学び続けるようにすること」としている。
つまり、今まで行ってきた授業を改善し「主体的・対話的で深い学び」にすることで、生徒が学び続けられるということである。
また、「主体的」について、「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる『主体的な学び』が実現できているか。」としている。
この主体的という言葉は学校内でもよく聞くのだが、
主体性は育てるものなのか?

主体性ついて、為末さんは
「主体的であることは、『自分で考え変化を起こそうとすること』」と述べている。
また、変化について以下の文を引用する。

変化を起こそうと行動する時、その人には変化への期待感がある。
一切変化しない人なら人は何も仕掛けない。
雨乞いをしていたのは、願えば天気を変えられると信じていた時代までだ。
願っても変わらないとわかったと後は、雨乞いわ行われなくなった。
人間関係でも同じことが言える。例えばスポーツにおいてコーチが
「提案させるが採用しない」
「意見を言わせるが聞かない」
ことを繰り返すと、選手は提案も意見も言わなくなる。
やっても無駄だと学習するからだ。
人が好奇心から行動したくなるのは変化する可能性があるからで、それがないとわかれば人は沈黙する。

熟達論 人はいつまでも学び、成長できる  為末大(2023)P68-69

やっても無駄だと学習させてしまうことは教育現場では多く見られるのでは無いだろうか?

良かれと思って、
・丁寧に黒板(またはホワイトボード)に内容をまとめる
→自分なりにノートにまとめたいのに、板書通りにしないとノートの点数が下がる(そもそもノートで点数を取ること自体おかしいのだが・・・)
・授業内容を事細かく説明をする
→大まかな説明でできる生徒がいるのに、全員に1〜10までの説明をしてしまう。できる生徒にとっては「そんなことくらいできるのに」と思わせてしまう
・喧嘩の仲裁に入る
→いじめの案件は別として、喧嘩の仲裁に入りすべて教師リードで謝罪まで済ませてしまう。こうしてしまうと、次の喧嘩にも教師が介入しなくてはいけなくなり、いつまで経っても教師任せになる。結果、自分たちで解決しなくなってしまう。
・予定を事細かく伝える
→スケジュールを細かく伝えることも、時間管理をしたい生徒の主体性を奪ってしまってはいないだろうか。何もかも伝えてしまうと、伝え忘れた時に教師のせいにする。
・給食・掃除を手伝う
→給食、掃除は学校生活の中でも大変なことではあるが、これも教師が手を出しすぎるとやらなくなる。中学生ということは少なくとも6年間は給食・掃除をしてきたのである(掃除などを業者に委託している学校は別であるが)。
・求めていないのに忘れた物を貸す
→忘れ物についてもさまざまな意見があるだろう。しかし、本人が困ってもいないのに忘れた物を貸してもただ貸しただけになる。それどころか、忘れても先生に貸してもらえるとなると「忘れてもいいか」となってしまう。

まずは、主体性を取り戻し、保つということが必要なのだろう。
あれもこれも良かれと思ってやりすぎてしまうと教師と生徒がお互い苦しくしてしまう。
特に教師はあれもこれもやらないと思うと無限に仕事をやってしまう。

主体性を保つということは、心の中の子供を守りきるということである。
時に思うようにいかなくて苛立つかもしれないが、心こそが私たちに主体性を感じさせている正体でもある。
子供の意見を無視して強引に進めることもできるが、後々大変なしっぺ返しを食らう。やる気が出なくなり、「自分」を生きているという実感がなくなるのだ。
心を大事に扱い、生き生きとさせておくことが主体性を活性化させ、やってみようという挑戦心を引き起こし、変化を起こし、学びを生む。

熟達論 人はいつまでも学び、成長できる  為末大(2023)P71

生徒を見ていると本当に子どもらしい姿を毎日見せてくれる。
それは無邪気に好奇心のまま行動するのである
(もちろん失敗にもつながるのだが)
しかし、その多くは休み時間などのフリーな時間が多い。
一方で、授業中に主体的にゴールに向かい、熱心に学んでいる姿を見ると大胸が熱くなる。生徒が自ら学びに向かう姿を見ることが、いまの仕事のやりがいの一つである。

最後に、自分自身について
心の中の子どもを守りきっているか?
好奇心を失っていないか?
やっても無駄だとわかり挑戦していないのではないか?

まずは、勇気をもって些細なことでもいいので挑戦することで
自分中の子ども心を取り戻すことをしていかなければならない。

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