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SEPT作品 『FATALISM ≠ Re:Another story』配信視聴感想

note企画 スカパー後援「ハマった沼を語らせて」応募記事です。

 
 『FATALISM ≠ Re:Another story』を配信(2月21日19時回、2月23日14時回)で観たので印象に残ったことや感想を書こうと思います。
 杉浦タカオさんが主催する音楽と芝居の織りなすエンターテイメント・ライブステージ SEPTの作品を観たのは初めてです。

『FATALISM ≠ Re:Another story』 HP

 フェイタ(FATALISM ≠ Re:Another storyの愛称)の内容や台詞を引用しています。
 個人的解釈が多い感想になると思います。
 前日譚朗読劇やSEPT過去作品は未視聴です。
 配信を観て感じたことを素直に書いているので矛盾点もあるかと思います。


生きるという人間の願いや欲望

「願いって? 願い、想い、祈り、か」
「今この瞬間がもっとも輝やしくて愚かしい」
「人はかくも美しいものなのか」

 2公演の配信を視聴し、作品全体を通して、「人はそれぞれ何を感じどう生きるのか」「生きたいという欲望」が大きなテーマになっていると感じました。私にとっては、生きることや生きたいと思うことはあまり当たり前のことではないので、その根本に触れるような作品自体がとても興味深かったです。人間の愚かしさと輝かしさと美しさ。それを舞台から感じられ、考えるきっかけになってよかったです。
 象徴の中では、自ら死を選んだのは雛菊だけで、その雛菊が主人公であり、最後に「生きたい」と願うことも物語を面白くしていると感じました。雛菊の物語を一緒に生きることで、私もフェイタの登場人物や音楽に生命力を分けてもらえたような気がします。


人間と神の関係

「なにをやっても滅びへと歩みを進める人間。ならばその世界中から僕が選んだ文化や人のみでつくりなおしたらどうなるのか」
「愛おしいね、人間は。最後まで寄り添うよ。私は彼らから生まれたのだから」


 絵空様と亜歩露様は神として描かれている二柱です。
 選んだ文化や人のみでつくりなおすという絵空様の構想は、個人的にはとってもおもしろいなと感じました。雛菊との出会いの場面で絵空様は何かを描いているので、世界をつくっている真っ最中だったのかな、と感じました。
 舞台関係者の方のツイートで、絵空様はオーディン、亜歩露様はアポロン、と書かれていいるのを見つけたのですが、絵空様がクライマックスでは雷を操っているようにも見えるので、ギリシア神話のゼウスやローマ神話のユピテルとも共通している部分があるのかなと想いました。
 フェイタの物語を見ていると、絵空様は世界に干渉できるが世界そのものには移動できない(三羽がそれぞれの世界のものを持ってくる)、亜歩露様は人間の世界に移動することができる、絵空様は世界をつくることができる、亜歩露様は予言ができるし絵空様と対等に会話ができる、などのことがわかります。それぞれの神に能力に違いがあるのは、絵空様が高位の神(主神?)であるらしいことと、亜歩露様が人間から生まれた(人間の信仰によって生まれた?)ことが理由なのかな、と思いました。
 三羽、絵空様の従者は「神ではない」と言っていますが、運命の観測者側に属し、それぞれ夢百合、藍備、蓮の運命を見守っています。人間について雛菊と語ることで物語を進めていく彼らはストーリーテラー、運命の語り手であると同時に主要キャラクターの守護天使のようにも見えました。
 主要登場人物に対応しているという観点では、絵空様は雛菊に、亜歩露様は世界全体に対応している存在であるように見えました。


時間軸について

「君に見せた世界はすべて過去のもの」

 2023年の世界と2123年の世界が過去であるのだとすれば、雛菊、藍備、蓮、夢百合のいる世界はさらに未来の世界なのかなと感じました。平行世界という言葉からまったく違う世界なのだと思って見ていたけれど、2023年の世界のできごとが2123年にも干渉していたように、すべての世界、運命、時間軸は干渉の大小はさておき、つながりのあるようにもとらえられました。
 視聴を終えて気になったのは、奉納の儀とはなんだったのか?物語においてどのような役割があったのか?ということです。
 雛菊の世界は、2023年や2123年に比べると、世界としての幅が狭く、ずいぶんと未完成であるように見えました。(単に時間の尺の印象かもしれませんが・・・)
 また、絵空様が雛菊に出会ったときに描いていたのは雛菊たちの世界のような印象があったので、世界五分前仮説的解釈になりますが、雛菊らの世界は未完成で奉納の儀をもって完成するのかな、と感じました。
 フェイタきっかけで世界の神話について少しずつ再履修していて、北欧神話のラグナロクが、雛菊の世界では絵空様と雛菊の対峙にあたるのかもしれないなと思っています。
 絵空様が世界を終わらせる神であるように見えて実は、絵空様にとっては雛菊、すべてのねじれの起因こそが、世界を破滅や終わりに導く存在だったのかもしれない、とも感じました。

主人公:雛菊とはどういう存在なのか


「ここまで来てまだひとごとのような顔をしているね」
「私は今までは運命を受け入れることしかできなかった。そして流されるままに過去をめぐり、人の弱さを、脆さを、醜さを知りました。それでも弱さは優しさになり、脆さは思いやりへと変わり、醜さは向き合うことで強さへと変わると知った。」

 


 主人公である雛菊の発言は、ほかの世界の同じ存在といわれる、エイナ、莉乃、陽織にくらべ、どこかふわふわとしていて、現実感や意思が弱いように感じられました。
 主語が人々、人間、みんな、など自分以外であることも特徴的です。
 象徴として閉じ込められ、考えが成熟していないことが原因かと思いましいたが、機械の体に感情が宿った未来の世界のシンの存在、最後のエイナ、莉乃(陽織)と三人で一緒に話すところが合成音声を表現しているようにも見えたことから、ひとりの人間というよりは、なにかの器のような存在だったのだろうかと思いました。
 さらに、雛菊は、象徴の中でひとりだけ死を選んでいて、自ら滅びゆく人間そのものを象徴しているようにも感じられました。
 最初はフェイタ全体が雛菊の成長物語のように見えていたのですが、何度か視聴したあとは、雛菊がほか3人の象徴を救うようでいて、実は、藍備、蓮、夢百合が雛菊を救ったようにも思えます。雛菊がフェイタ(今回の舞台の愛称)の世界の象徴であれば、まさに人間の願い、祈り、想いが世界を救うという物語をここでも表現しているように見えました。
 SEPT過去作のあらすじを読むと、HINAという存在が出てくることも興味深いです。


OWV・浦野秀太さんのこと

「つくづく人間っていうのは馬鹿だよな。世界が便利になっていく中で、勘違いしたんだろうな。争いからはなんにも生まれない。俺たちの生きる未来にそんな暗い世界はいらん。音楽が人の感情を呼び覚ますというのなら俺はその力を信じる。青臭くたっていい。夢をもって希望をもって精一杯あがく」


 今回の観劇のきっかけとなったのが、ダンスボーカルグループOWVのメインボーカルである浦野秀太さんが出演されたことです。


 浦野さんは、愛情深く、信念が強いアーティストで、普段から仲間としてのOWVや家族を大切にしています。また、音楽やパフォーマンスにこだわりが強く、インタビューなどを読むと自分の声質や得意な表現などを理解して楽曲に臨まれていることがわかります。
(エンターテイナーなので、こんなことを言うと本人には 営業妨害だ、やめてくれ と思われるかもしれませんが、ファンのひとりである私にはそう見えています。)

 信じることの強さ、争いになげくのではなく音楽の力を信じ理不尽に立ち向かうこと。
 浦野さん自身がひととしてもっている信念の強さが、もっとも強く演じるキャラクターとシンクロしたのが、引用したツタバの台詞だったように思います。エンディングライブでは浦野秀太さんとして藍備やツタバに寄り添っているように私には見えました。

 こちらの記事を読んでくださった方は、OWVメインボーカルとしての浦野秀太さんのパフォーマンスもぜひ見てください。情感豊かな歌声が大好きです。

Let Go

You


おわりに

 浦野秀太さんの出演をきっかけに、良いファンタジー作品に出会えてよかったです。
 もともとファンタジーが好きなので
「推しが出ているから」という理由だけでなく、
フェイタの世界・物語を心から楽しめました。
 生、死、世界そのもの、人間、願いなど大きなテーマを、役者の皆さんの高い演技力や熱量、演出や音楽が支えて深みが増し、素晴らしい作品でした。
 また浦野秀太さんにSEPT作品に出てほしいなと心から願っています。

 『どうか、もう一度会えるように。』
 
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写真借用元:ぱくたそ(www.pakutaso.com)


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