ママとつぶやかれた日
私は今日も仕事へ。子供は今日も保育園へ。
保育園は4月から行き始めたけど、1ヶ月もしたら泣かないで行けるようになって、しっかり楽しんでくるようになった。
だから、私は精一杯仕事ができたし、パパに頼んで月に2〜3回は残業する日もある。完璧主義な私としては、もうちょっとしっかり仕事をしたかったりするけれど、そこはバランスをとってそれなりで仕上げて終わる。
我が家の事情から家のことは旦那に任せることが多くて、送迎もやってもらっているので、必然的にママとしての時間は短くなる。
そんな毎日だった。
でも、数日前に朝一緒に家を出たら、私と離れるとわかってギャン泣き。いつもはおかあさんといっしょを見ているときに、バイバイと手を振って私が先に家を出る。ババーイと言ってくれたり、手だけ振ってすぐにテレビに集中したり、寂しいくらいテレビに負けていた。
それが、短い腕をいっぱいに伸ばして、私を求めて泣いている。「ママ」ぐらいしか聞き取れない言葉を叫んで。
この日は、一緒にお出かけできると思ったのかもしれない。いつもより私がゆったりしていて、子供の出かける準備が早く終わって、一緒に家を出た。
保育園バックを持ったら、平日は保育園へ行くのが分かっていると思っていた。いや、多分うっすら分かっていたけれど、単純にママとまだ居たかった。のだと思う。
その次の日、また次の日はギャン泣きすることはなかったけれど、心なしか少し寂しそうな顔をして私を見送る。まぁこちらの気の持ちようかもしれない。
そして数日後、また一緒に家を出ることに。いやはや時間が揃ってしまった。すでに察知して私の足にしがみつく娘。とりあえず、玄関に座らせて靴を履かせてやると、にっこり微笑む。一緒に出れるのね!今日はママも一緒ね!と、その顔が言っている。
…正直めちゃくちゃ心が痛むが、朝からその感傷に浸っている時間はない。
本当は今でもその表情が脳裏に焼きついて離れないが、そのときは何も見なかった振りをして、手を繋いで外に出た。
少し一緒に歩いたところで、ひょいっとパパが娘を抱きかかえる。
一瞬で泣き顔の娘。
最後に頭をなでてやろうと、少し近づいたのが良くなかった。ぐしゃぐしゃの顔でまだ涙を堪えていたのに、崩壊した。ごめん…
反対方向に歩く私。ちょっとずつ距離があく。半分肩にかつがれるようにして、私に手を伸ばしている。そこらじゅうに響く泣き声。
朝からご近所迷惑この上ないが、この辺りは子供がいる家庭も多いので、なんとか許してくれと心の中で願う。
後ろを何度も振り返るうちに、小さくなり表情はもう見えない。泣き声が遠く聞こえる。
最寄り駅に着いて、地下鉄に乗った頃。旦那からLINEが来た。
「ママが見えなくなったくらいに、ママに向かって手振ってその後泣き止んだよ」
…こっちが泣くわ!!!
なんとか堪えて出勤。娘は成長している。
さらにさらに数日後。
この日はほぼ一緒に家を出たが、ついに泣かなかった。ほっと一安心。さびしくないわけじゃないだろうが、やっぱり泣かないでいてくれると親としては平和だ。心が落ち着いたまま仕事へ向かう。
その日の昼休み。旦那からLINEが来ていた。
「ママが見えなくなる頃に、ママ…って小さい声でつぶやいてたよ」
胸が押しつぶされそうになった。そんな表現どこで使うんだ、今時ドラマとか映画でも使わないよと思うけど、ほんとにこの表現がぴったりだった。
気を緩めると涙が出そう。いや、昼休みちょっと泣いたかもしれない。慌ててトイレに逃げた。
ママって分かってるのかどうか怪しいけれど口にしていた頃から、今はちゃんとママをわかってママと言うようになった。今朝、ママが行ってしまうとわかって、遠く離れていくママを見送った。
小さい子の感情ってどんなもんか、あまり想像できなかった。嫌なら泣くし、楽しければ笑う。だったけど、だんだん悲しいとか嬉しいとかいう表情ができるように…なってきたんだなぁ。
確かに我慢していたんだ。泣かないから大丈夫なんてことはないって、思い知った。なんとなく、泣いたらそれが基準になっていた気がするけれど、泣かなくたって悲しいこともある。大人なら泣かないのが普通で、子供なら泣くのが普通なんて、そんなことはなかった。
保育園、楽しんでるみたい。だけどやっぱりママといたいよね。そんなこと自分が子供だったらすぐ分かるのに、大人になったらなぜか見えなくなってしまっていた。
毎日頑張ってくれてありがとう。
週末はいっぱい遊ぼうね。
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