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手と足[読書日記]:20240707

 歩きながら不意に手を眺めてしまう癖があった。無性にじぶんの手の存在を確認したくなる。グーパーグーバー、目の前でうごかす、厨二病アニメさながらの仕草。「我が手、たしかに此処に在り」といわんばかりに。自我の輪郭線がぼやけてくると、はじめから目には見えない心的領域を過ぎ越して、物質をもった具体的な身体の一部分(手 hand)に「我」の在処をみつけたくなるのか。いささか文学的な修辞に満ちた自己解釈ではあるけれど、全くの見当はずれとも思えない。たとえば歌人・啄木こと石川一の一首、

はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る

『一握の砂』

が名歌である所以が、さいごの「ぢつと手を見る」にあるのは誰もが認めることだ。たとえば「手」ではなく「空(天)」を見ていたならばどうか。明治人・啄木の「時代閉塞」感は「空(天)」には飛翔できず、「手」に凝集してしまう。それでもだからこそ、啄木は近代歌人の代名詞になった、なってしまったのではないかとも思う。一神教の〈God〉を仰ぐこともなければ、中華の〈天命〉を受けることも出来ないモダニスト啄木の、日々につかれた自意識が向かうのは他ならないじぶんの「手」だった。

庭のムクゲ

 啄木よろしくの精神状態のためか、本を読んでいても「手」に関する所見が目を惹く。そもそも「手」とはなにか?「手」にオブセッションを感じたのは啄木ばかりではない。たとえばハイデガーは「手」の哲学者として有名だ。ハイデガーの著作には「手 Hand」のつく造語(〈手許存在〉、〈手前存在〉、〈手仕事〉etc.)がいたるところに登場する。

 ハイデガー他、20世紀の技術哲学の遺訓をも随所に散りばめながら、学域の垣根を絶えず越境する人類学者ティム・インゴルドは、手ならぬ「足」、あるいは「靴」の背後にある身体変容を示そうとする。

 このように、ダーウィンにとっては、物質世界での身体の支持面から知的能力を漸進的に解き放つ限り、自然のなかでの人間の下降が、自然の外への上昇でもあったのだ。人類の進化は、踵に対して頭が屹立していること、そして最終的に踵に対して頭が勝利していることとして描き出された。
 しかし、未開状態の人びとの足の働きは、もって生まれた解剖学的資質によるものではなく、裸足で歩く習慣と関係するのではないのか。ハクスリーは次のように告する。
「幼児期以降ずっと閉じ込められ、締め付けられてきた文明人の足の親指は、一見して非常に不便な代物だが、未開状態にある裸足で生活する人びとのそれは可動性が著しく高く、ある種の母指対向性さえ残っている。この事実を見落としてはならない」足よりはるかにいろいろなことができる手のつくり出したブーツや靴が、足を拘束し、動きの自由を制限し、足の触感覚を弱らせるのである。(太字:引用者)

ティム・インゴルド『生きていること 動く、知る、記述する』〈第3章 地面の文化史〉p100

 読みながら思い出さずにはいられないのは、世界史の授業でも習った中華帝国の纏足(てんそく)である。日本ではかつての隣国の“奇習”のごとく語られることも少なくない纏足だが、望遠鏡の倍率をすこし高めてみれば、硬質のレザーブーツで平らな道を、ひいてはアスファルトを大股で歩くわたしたち「文明人」は、誰もが足を鋳型に押し込んでいるようにさえ見えてくる。「手」と「頭」の専制的な優越によってもたらされた近代が、みずからの「足」の自由と感性を拘束する。

 人類学の最先端から、ふたたび近代過渡期の日本に戻ってみる。足の拘束が常態化するまえ、幾代か前のわたしたちの足はいまよりもずっと自由でしなやかだったのではないか?そう思わせてくれるのは、たとえば柳田国男のこんな記述だ(『明治大正史 世相編』)。

 靴はその本国では脱ぐ場所がおおよそ定まっている。そうして極度のなれなれしさを意味していたところが、われわれの家では玄関の正面で、これと別れるように構造ができている。一日のうちにも十回二十回、脱いだりつっかけたりする面倒をいとうては、休所と仕事場との連絡はとれぬので、それがまた世界無類の下駄というものが、かように発達した理由でもあったのである。

柳田国男『明治大正史 世相編』角川ソフィア文庫(p77)

 それから暫くすると「明治三十四年の六月に、東京では跣足(はだし)を禁止」(p79)することになる。ペスト予防のための衛生面に加えて、「対等条約国の首都の体面を重んずる動機」が陰にははたらいていた、とのこと。(というか、昔の日本人は、一定数「裸足」だったのか。)ここで足の存在は、無視されるどころか、近代化に遅れをとった後進国の顕(あらわれ)として、うとまれてさえいる。〈手中心主義〉とでもいわんばかりのこだわり。

 四足動物が立ち上がって二足になった、という説明は決定的にまちがっている。ニホンザルの姿を思い出してみよう。四足で歩くとき体幹は水平だが、立ち止まって休むときは二足で体幹は直立している。直立二足歩行以前に、そもそも霊長類の体幹は直立していた。木に登るときには体幹が直立している必要がある。体重を支えているのは足だ。そのとき手は自由なのである。ニホンザルの手は大豆や麦を器用につまむ。...
 人間は立ち上がることによって、手をつくったのではない。人間は立ち上がることによって、足をつくった。足という、物をつかめない四肢の末端をつくった。それで歩くようになったのが人間だ。

松沢哲郎『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』(p54-55)

 動物と人間を隔てる、わたしたちに固有な身体性は手ではなく、むしろ足であるようにも思う、きょうこの頃。しかし足って、なんだか誤魔化しが効かない気がして、正直すこしこわい。

 恐れ入り屋の鬼子母神。

2024/07/07

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