マガジン

  • 蜜柑詩篇

    一文でも、ととげば、いいな。詩を書くための、1日を過ごしてみる。

  • 読覚 Sense of read :日記とノート

    日常の記録です。

  • 2024年の本棚

  • 読んだ本についてetc.

    読んだ本についての考察や感想を載せます。

  • Soseki+1

    日記に代わり抜萃の公開。

最近の記事

  • 固定された記事

手と足[読書日記]:20240707

 歩きながら不意に手を眺めてしまう癖があった。無性にじぶんの手の存在を確認したくなる。グーパーグーバー、目の前でうごかす、厨二病アニメさながらの仕草。「我が手、たしかに此処に在り」といわんばかりに。自我の輪郭線がぼやけてくると、はじめから目には見えない心的領域を過ぎ越して、物質をもった具体的な身体の一部分(手 hand)に「我」の在処をみつけたくなるのか。いささか文学的な修辞に満ちた自己解釈ではあるけれど、全くの見当はずれとも思えない。たとえば歌人・啄木こと石川一の一首、

    • ノラ猫

      とらまえようとして 触れるが精一杯の ノラ猫よ どんな隙間にも あなたは 神様からさえ隠れたところで 眠りに充足している と僕は断言しよう シュレディンガーはさびしいのだ あなたが 存在と非在をめぐるお喋りに 眼もくれず安眠している そのことが 四月は残酷な季節 なのだとして エリオットはキャットフードの缶を開ける 僕たちも あなたのようになりたかったが 猫背になるのが目一杯だったよ

      • 20240919

         大竹まことさんの近頃の愉しみは「立ち眩み」だそうだ(9月18日ゴールデンラジオより)。「立ち眩みってね、意外と気持ちいいんだよ」もしも自己紹介の趣味欄に「立ち眩み」と書いたら、どんな変わり者かと訝られるだろうけれど、目眩が気持ちいい、というのはとても判る気がした。格闘技を習っていたラッパーの友達がよく「(頸動脈を絞められて)落ちるのが気持ちいい」と言っていたのを思い出す。  小学6年の頃、授業中に座ったまま立ち眩み(ってなんか変だけど)に襲われた、お習字の時間だった。気が

        • 20240918

           悲しくはない 言葉の世界から  脱獄はできないということ  わたくしを 終身刑に処するのは  4冊目のかみさまだ  ジョイスの rivverrun!  笠置シズ子の バドジズデシドダア!  シンデレラの ビビデバビデブウ!  スーパー  カリフラ   ジリスティック  エクスピア   リドーシャスな夕暮れ  

        • 固定された記事

        手と足[読書日記]:20240707

        マガジン

        • 蜜柑詩篇
          65本
        • 読覚 Sense of read :日記とノート
          250本
        • 2024年の本棚
          0本
        • 読んだ本についてetc.
          6本
        • Soseki+1
          2本
        • 読書ログ。
          4本

        記事

          20240917

           市民プールに来るなんて何年ぶりだろう。そもそも、改めてプールに入ること自体、中学以来かもしれない。運動への苦手意識を持つ自分にとって、周りの誰とも比べずに、のんびり、けれども黙々と、全身を動かせるプールは貴重な場所のひとつのはずだ。  水着もゴーグルも持っていなかったので、館内の売店で一式そろえる。帽子は借りるつもりでいた。まえ来た時には帽子がレンタル出来たのだ。念のため売店のお婆ちゃんに訊いてみると「やってないよ、ぼうしの貸し出し」。「そうなんですか、まえは借りられたの

          20240915

           まえに進む。まえに進もうとする。そう意気込んで階段の一段目に右足をかけた途端、レンガに見えていたはずのステップが砂のきざはしに変わる。別の踏み板を試しても同じ空振り感覚が繰り返されるのは今さら分かりきったことです。自分にそう言い聞かせ、失望にあらかじめ保険を掛けておく。いっそ散らばった砂をあつめて土嚢袋の階段でもつくろうかとすら思う。それでもなお性懲りなく、すべてを見渡せる場所にまでつづくありえない階段を探す癖が、たぶんしばらくは無くならないのだな。「しっしょうたいりき、し

          20240913

          baito ni iku to itte honya ni itta. doushite sonna uso wo tsuitandaro. shoziki ni shibaraku yasumu to ieba iinoni. taka daka baito teido de kokoro wo surikirasete iru koto wo satoratetaku nai noda. okorareru aruiwa shinpai sareru kamo to om

          20240910

           「高校生クイズ」がテレビで放送されている。「これRikutoに、ラッパーの友達ふたりと一緒に出て欲しかったなぁ」と母。元より自分は一年と半年前に出場資格を失っているし、そもそもクイズがあまり好きでも、また得意でもない。  テレビに映った高校生が自分よりほんの僅か歳下であるという、馬鹿みたいに当たり前な事実にすこし驚いた。ほんとうにあたりまえだ。これじゃあ総裁選の某候補者と似たり寄ったりになってしまう。ぼくが高校を卒業しているということは、現役の高校生はぼくより歳下というこ

          20240909

           いったん信じてみたい。疑うひと(以下K)を飼い慣らしながらも、Kに手綱を握られてはいけない。いったん信じて、騙されてもいいから先へうごきたい。なにかに抵抗resistする必要がある。なにを信じてみたいのかは自分にも分からないけれど、それをいったん信じてみたい。衝突conflictではない。抵抗resistが必要。

          20240902

           目を皿にして英文の、ムスカ大佐よろしく意味を丁寧に掬ったあとは(「読める!読めるぞぉ!!」)、文字通り「水を得た魚」になって、スイスイと日本語のプールを泳いでいける。原文読書は犬掻きか、せいぜい大袈裟なバタフライが関の山というほどで、直後の母国語なら平泳ぎをするみたく優雅に、あでやかに、文の遠泳は進む。慣れない言語の水圧に耐えたご褒美だ。  自室にはエアコンがないので、夏場は一階のリビングで冷房を効かせて寝る。年々酷くなる猛暑に、そうしないわけにはいかないけれど、この一夏

          20240725

           こう暑い毎日が続くと、なんでもない冬の一日が狂おしく艶やかに見える。東海の小島・ニッポンの夏は生きた心地がしない。写真フォルダーを整理する最中に、おしろいをつけた枯れ木の一枚が目を惹く。これは...ゆ、き?そうだった。この世界には、冷たくて白い、ふわふわした「雪」なるものが確かに存在していたのだ、いまではとても信じられないことだけれども。考えれば考えるほどに、「冬」なるものが本当に実在していたのかどうか、不安が増していく。それ(冬)はたしかに“あった”ことにはあったのかもし

          20240723

           つかめそうな部位のない淋しさをジリジリ背中で引きずりながら昨日がおわって、目を伏せたまま今日をやり過ごせばまた明日。いやだやだ、「淋(リン)」だなんて風情のある漢字を使うにはおこがましい、自分にはせいぜい「サビシイ」とカナで記すのが関の山というものです。諦観のフリだけ上手くなって、一向に「オトナの階段」はその姿すら見えてこない。けれどもそんな階段を一段でも上がったことになる「経験」っていったいなんだ?  「(人生)ケイケン豊富」という時の「ケイケン」は、「読書経験」でもなけ

          20240721

           きょうのシフトは午後6時からナリと今朝から意気込んでいたのはコチラのハヤトチリ、正しくは来週のこの時間帯だった。家族には夕飯イリマセンと言ってしまった手前、前言撤回する勇気も振るえずに、出勤するフリをして家を出た。とりあえずは夕ご飯。『孤独のグルメ』にも登場した某定食屋さんで牛スタミナと半チャーハン(普通で美味しい!)。  まだまだ時間がある。映画館に行こうかと思うも、上映中のラインナップがあまりにもトホホな感じ(※個人の見解です)だったので、代わりに書店を物色。漱石『門』

          20240626

          例によって俯きながらのバイト帰り(もう、ちょっとムリかもしれない...)、コメダ珈琲で生レモンスカッシュを注文。何はともあれ一息吐こう、喉が渇いたし。隣の席には母校の制服を着た女子高生が二人。買ったばかりの『ご冗談でしょ、ファインマンさん 上』(岩波現代文庫)を啓く。レモンスカッシュ到着。もちろんジュースだ。んが、もうあと数ヶ月経てばアルコールに呑まれようがニコチンを燻らせようが大手を振って歩ける年齢になるということに今更ながら驚く。 自分で自分を慰めるみたいで気が引ける

          20240619

          「死にたい」(あるいは「消えたい」)で検索をかけると、いわゆる〈いのちの電話(番号)〉が表示される。いまこそ利用させて貰おうかとダイアルを押すも、すんでのところで切った。何故かは分からない。決して〈いのちの電話〉に助けを求めることを否定しているわけじゃない。ただ、自分がそうすることに、違和感があったのだと思う。別に「死にたい」わけじゃない。ただ、このまま小さなささくれが剥け続けて出血多量で苦しむくらいだったら、いっそこと。本気で思ってるわけじゃない。突然、部屋の中に殺し屋が入

          水無月海溝

          其処はそこそこ まず麗しく 底でそれこそ シマスか?ソレに、 触れられるのは此処だからこそ。 泪のみずにガムシロいれて リバアス、リバース、〈川〉流れてく。 靄(もや)と針からなる出来事は ちびたクラゲの痛覚を射る。 絡まり、こごまる、意味の培地が 干からびるまで泣く日々の底 (触るのははじめてですか?そこに    手で触るのははじめてですか?)   (なでることからはじめてみましょう    やさしく なでることから) 手前、まもなく水無月海溝 しずかな底の暗

          水無月海溝