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昨年末、どん底だった時の話

前回のブログで書いたように、私は妊娠後、流産手術をしている。
当時は辛すぎてその時の気持ちを誰かに話したりできなかった。

時々、妊娠時の嬉しさや、わくわくや、緊張感、そして悲しみまでもを忘れてしまうことが怖くなる時がある。
何年後かに振り返って思い出せるように、当時のことを書き留めておきたいと思う。(喋りだしたら止まらず、2000字近く書いてしまった・・)

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結婚した当初から、子供が欲しいと思っていた(私は)。
結婚したら~妊娠して産休に入って育休中も手当を貰って~、2年位したら復帰して、仕事と家庭の両立を頑張りつつずっと働き続けるつもりだった。そのような女性が私の周りに多かったせいかもしれない。
私も、そんな人生になる気がしていたし、そうありたいと思っていた。

しかしそんなに上手くはいかなかった。


月日は経ち、夫の転勤が言い渡された。
関西から縁もゆかりもない遠い地への転勤だった。
私は全国に支店がある会社に勤めていたので、転勤希望を出せば夫の転勤先の近くで仕事を続けることが出来たが、すぐに2人で暮らすことを選ばなかった。その理由については今回は割愛するが。

月に1度、飛行機に乗って夫に会いに行き、新しい土地を巡るのはそれはそれで楽しい思い出であった。

しかし、繰り返すが私は子供が欲しかった。

そこで、○○までに妊娠しなければ退職する、
妊娠すれば遠距離生活を続けてそのまま産休に入り、一緒に暮らす、

とリミットを設けることにした。

これは人生の岐路をまだ見ぬ「こども」に委ねているようで、なんだか辛い気持ちもしたが、仕事のキャリアも人生の夢も大切にしたかった当時の私にはそうするしかなかった。

結局、今は会社を退職し、専業主婦となっている。

遠い地へ引っ越して、不妊治療専門のクリニックに通い始め、2度目の人工授精にて妊娠が分かった。

分かった時は、とても嬉しかった。
こんな私でも本当に妊娠できるんだ、と驚いた節もあった。
関西にいた頃は、生理が来て、生きる意味が分からなくなったり、「悲しくて泣いているというより無意識に涙が止まらない」ようなこともあった。
誰にも相談できない。相談したくない。
自分ひとりがこんなに辛いんだと思い込んでいた。

夫と2人で、これからの生活をイメージするのもわくわくした。重たい生理が来ないのも嬉しかった。
また、人生史上最長の便秘に襲われたりもした。何を食べてもオナラしかでないのはキツかった。
すごく眠くなったり、胃がむかむかしたり。
ホルモンの変化から来る体調の波を日々面白いな~と思いながら暮らしていた。

最初は異所性妊娠の疑いがあると言われ、日を空けず通院していたが、無事子宮内に胎嚢が確認された。

しかし、何回目かの受診で、「心拍が確認できない」と言われた。忘れもしないクリスマスの日であった。母子手帳がそろそろ貰える頃と思っていたのに、持って帰ってきたのは手術の同意書だった。

心拍が確認できない状況になると、自然排出といって突然大量の出血とともに胎嚢などが出てきてしまうことがある。急な腹痛と出血。外出中に起こったら大変である。
出来るだけ早く手術しましょう、と担当医は話した。

しかし、翌日から年末の帰省で実家と義実家にのべ10日間ほど帰省する予定があった。お互いの実家が遠いのと、私が仕事をしていないからゆったりした旅程を立てていた。
私は、いつ出てくるかわからない子と共に、飛行機に乗って帰省することを選んだ。担当医は紹介状を持たせてくれて、私は帰省先の近くの救急対応病院を調べ、大量のナプキンを持って帰省に挑んだ。

正月の帰省というと必ず酒が出てくる。私は毎度これを断らないといけなかった。義実家には妊娠のことも、流産のことも話していなかったので不思議な顔をされたが、踏み込んで聞いてくるような人たちではなかった。
私の祈るような(これ以上聞かないで・・)が届いていたのかもしれないが。

そんなこんなあり、何事もなくお正月の帰省から帰ってくることができた。
最後までお母さん思いのいい子だったなぁ、と子への感謝の気持ちと、愛しさでいっぱいだった。

帰省後、全身麻酔手術にて子宮がからっぽになった。
妊娠判明からちょうど一か月後のことだった。


手術室で担当医に挨拶されて、すぐ麻酔が入ったのだろう。
目が覚めたら病院のベッドの上という、これドラマで見たことあるやつや~状態であった。

正直、当時の体調のリスクと精神状態だけを考えたら年末の帰省は正解ではなかったのかもしれない。街ですれ違う子連れ家族、CMで見る赤ちゃん、スーパーの子供服売り場・・・一人きりで過ごす分には誰にも迷惑をかけないが、誰かといるときに悲しみポイントが溢れ出して泣いてしまったらどうしよう、とか考えるのもストレスであった。

しかし帰省を断る連絡をするのにも理由の説明をしないといけないし、正月価格の飛行機のチケットは変更不可で取ってしまったし・・・と、総じて「めんどくさい」という理由で帰省した。


全妊娠の6~7人に1人は流産をする、珍しいことではない。
私のように綱渡りな経験をした人もどこかにはいるのかもしれない。

流産した方のインスタを漁っていた当時の私のように、
自分の気持ちと、お腹の子と向き合っていこうと思った方にこの拙い文章が届きますように。



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