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子どもの教育について考えみる

 最近、荒廃した犯罪のニュース、子どもたちの悲しいニュースを多く目や耳にします。
 日本の社会状況をみると、近年、女性や子どもが自ら命を絶つ人数が増えています。子どもたちが、元気に、明るく、活発に生活することができない社会は未来が見えない、未来のワクワクする期待感を持てない社会なのだと私は思います。

 令和5年4月は日本の各地で県議会議員、市議会議員選挙が行われました。その中で、候補者の皆様、個人や党として大切にしている政策の柱を主張して選挙戦に臨んでいました。

 社会が荒廃し、経済の先行きが見えずが不安に包まれ、国力が低下している状況で、自ら命を絶つ、あるいは学校に行けない子どもたち、人と上手にコミュニケーションがとれない子どもたちが多くなっている現状は、もう待ったなしで『教育』を変えていく必要生があるのだと感じています。

 憲法改正ばかり取り沙汰されていますが、戦後、占領政策の一環として行われた教育基本法を始めとする教育制度などを、良いところは残しつつ抜本的に変えていくことが必要なのかなと考えます。
 高い人格と精神性、温かく勇気ある強い日本人を創ることが、国の礎を築き、世界や地球において和の精神で世界があまねく豊かになる人間関係が構築できるのだと。
 その人材育成=日本の国力が上がっていくということに繋がり、そのために最も大事であるのが『教育』なのだと感じています。

今の教育の何を変えていくべきか

 具体的な部分や細かい部分はさておき、高い人格と精神性、温かく勇気ある強い日本人をつくるため、また、どのような激動の時代においても動じない人間をつくるためには精神力や人間力の教育が重要だと考えます。

 私が論じると言うよりも『明治・大正・昭和・・・親子でみたい 精選 尋常小學校 修身書』八木秀次 著(小学館文庫)』の監修者解説より抜粋し、教育について考えていきたいと思います。

 1960年代以降のアメリカの教育界は、ジョン・デューイなどの教育理論に加えて、アンナ・フロイト(精神分析学の祖ジクムント・フロイトの娘)やエリック・エリクソンらの精神分析学の影響を受け、”子ども中心主義”の考えに傾いていた。彼らは、思春期の時期はturmoil(大混乱)になるのが当然で、そうならないとその後の発達に問題が生じるとし、思春期の子どもを親や教師の枠をはめず自由にして、多少のことは目をつむれと主張した。そしてこの理論がベトナム反戦運動などを契機とする当時のリベラリズムの風潮と相俟って、自由放任や個性重視の教育が行われることになった。

 公立学校の生徒手帳から細かい服装規定が消えていったのもこの頃である。高校生による「市民的自由」獲得運動の結果、連邦最高裁までが「生徒といえども公民権を校門の外に残してくるのではない」と判決し(1969年)、学校が独自に服装規定の生徒に守らせ、違反者を罰することが不可能になった。のみならず、服装規定の存在さえ生徒の自由を奪うものとされて一斉に抹消されることになった。また、連邦最高裁は、1975年には、法律に定める手続きによるほかは生徒の権利は剥奪され得ないものであると判断を示した。

 戦後の日本に課せられた教育に関する制度については詳しく述べませんが、その制度は、いわゆる60年代のアメリカ型の教育制度を多く取入れたものであることは確かだと思います。じわりじわりと日本の教育を少しずつ蝕んできただろうことが予測されます。

 ではなぜ戦後、世界でも類のみない高度経済成長を成し遂げ、世界第2位の豊かな経済大国にのし上がってきたのか!それは、戦前の教育を受けた私たちの祖父、曾祖父の皆様が、この日本の現状に対して日本の精神文化や大和魂をもって対応していただいたお陰様であることを覚えておかないといけません。

 こうして学校は生徒に学校独自の規律を強制する手立てを失い、その結果、口ひげを蓄えた男性生徒、イヤリングをつけ、爪に真っ赤なマニキュアを塗った女子生徒が現れるなど、学校がストリート同然となった。そして、これがやがて校内暴力、麻薬・アルコールの乱用、セックス・十代の妊娠へと発展していった。また15歳から19歳の子どもの自殺率はかつての三倍にもなり、例えば次のように指摘されている。
「このような学校の自由化、人間化の動きは、単に規則の改変のみに限らず、教師の指導姿勢、生徒の学習に対する構えに変化を生じた。教師は昔の毅然たる態度を失い、生徒の歓心を買う芸人と化し、生徒は権威に対する尊敬を忘れて刹那主義(未来はどうでもよく、今が良ければそれでいい)に走るものが多くなっていった。これが70年代初頭におけるアメリカの学校の風潮であって、伝統的な『古き良き教育』がほぼ完全に崩れ去ってしまったのである」と。

 何か今の日本の子どもたちを取り巻く事情に似ているような気がするのは私だけでしょうか。

この”病理”現象を憂えて立ち上がったのは父母たちであった。父母たちは”子ども中心主義”の教育が、放任・甘やかしとなり、子どもたちのわがまま勝手を許し、親や教師の権威を否定し、その当然の結果として非行や犯罪が激増、学力低下を招いたとして、70年代の後半以降「基本に返れ!」を合い言葉に、宗教家や政治家、地域の指導者などを巻き込みながら、教育を立て直すための草の根運動を展開していった。

ここで言う「基本に返れ!(back to basics)」

  • 読み、書き、計算の充実

  • 科学、歴史、外国語の重視(高校生)

  • 児童、生徒中心主義(子ども中心主義)から教師主導主義への移行

  • 訓練、宿題等の充実

  • 躾の指導、時に体罰もあり

  • 進級、卒業認定を厳しくする

 ※この運動を83%の当時のアメリカ国民が支持したということです。

 1981年1月に就任したレーガン大統領は、就任早々の4月、教師、学校長、職員、元知事、連邦政府教育庁の元幹部、大学教授、学長、経済学者、物理学者など18人からなる「教育の卓越に関する国家委員会」を組織し、18ヶ月にも及ぶ広範な調査を行わせた。
 その結果、1983年、同委員会は『危機に立つ国家』と題された報告書を提出し、過去20年間の教育の在り方とその結果を次のように書いている。

「我々の国家は危機に瀕している。かつて我が国は、通商、産業、科学、技術革新の各分野で優位を誇っていたが、今や世界中の競争相手にその地位が脅かされている。この報告で取り上げるのはこの問題の数ある原因や背景の一つだけであるが、この一点こそ、アメリカの繁栄、安全保障、社会規範を支えるものである。
 それは『教育』である。
 我が国の教育制度が、これまで我が国と我が国の国民の生活向上に寄与してきたことは疑いはない。しかしその教育制度が現在、凡庸さによって急激に蝕まれており、このため、一世代前には考えられないようなことが起こり始めている。その結果。国家の将来、そして私たち国民の将来が脅かされている。他の国々は我が国がこれまで達成してきた教育の成果に追いつき追い越そうとしているのだ」

 アメリカでは、当時、自動車、鉄鋼など、かつてアメリカの根幹を支えた基幹産業の不振が伝えられ、新聞には毎日のように人員整理の記事が掲載されていた。
 『危機に立つ国家』は過去20年間の教育の在り方を「米国に対して凡庸な教育をするように押しつけた戦闘行為に相当するもの」であり、これは自らの手で行った「侵略行為」であると認識を示している。このまま行けばアメリカは滅びるとの危機感である。

 何か今の日本と似ていませんか?
 そこに危機感を持って国家として対策に取り組んだアメリカの国家愛や行動力は素晴らしいと思います。日本の政府や官僚にはこの認識はあるのかないのか不思議でなりません。歴史から学ぶことは大切です。

 この『危機に立つ国家』の公表をきっかけに、レーガン政権は本格的に教育改革に取み組み始めた。レーガンは当時、軍事的に対峙していたソ連や、経済の面でアメリカを凌駕しつつあった日本やドイツなどに対抗して「強いアメリカ」を再生させるためには、何より教育を立て直すことが緊要であると考え、教室に再び「祈り」と聖書を取り戻すとともに、学校に規律を回復し、基礎学力を充実させるべく、「古き良き学校」を再建しなければならないと主張した。また当時、いまだ平均的学力の高さと規律の正しさを誇っていた日本の教育の在り方に学べと訴え、各種の教育視察団を頻繁に送り込んだ。

 このようにしてアメリカは、占領国にあっても経済発展を遂げながら規律正しい国である日本の教育を学びの一つとして自国に活かしていたのです。

戦前の日本の教育で学ぶべき点とは

 我が国で戦前に行われていた「修身」は大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦後、占領軍によって葬り去られていた。昭和20年(1945年)10月22日、GHQは「日本教育制度に対する管理政策」と題された第一の司令を手始めに、次々に教育に関する指令を日本政府に命じた。これらの指令は「軍国主義教育」の解体を目的としたもので、極端な国家主義、神道主義、軍国主義教育の禁止と教材の排除、それらの提唱者と実践者の教職からの追放、民主主義の奨励、自由主義者や反軍国主義者の復職を命じたものである。さらに12月31日、GHQは日本政府に「修身、日本歴史及び地理停止ニ関スル件」と題された指令を発し、「修身」「日本歴史」「地理」の授業停止と、これらの教科書の回収を厳命した。教科書は地区ごとに回収されて中央に送られ、すべて廃棄処分にされて製紙の原料となった。文部省のメモによると、回収量は三百万貫(10250トン)にものぼったという。
 その後、歴史と地理についてはGHQの承認を得た教科書が作成され、授業も再開されたが、「修身」の教科書については編集作業さえ実施されなかった。

 少し長い引用になりまたが「修身」という授業がなぜ無くなったのかという流れを理解するうえで大切な部分でしたので書かせていただきました。
 私たちが小学校の頃は「道徳」という授業があったが、その原型のようなものです。修身は、明治後期から昭和初期にかけて5期にわたって編纂された国定の教科書です。

 その中身は、「尊敬すべき人格」「優れた人格」その「かたちと内容」を具体的に示した物語の集大成です。
 古今東西の偉人・賢人の具体的なエピソードを綴り、今日の目から読んでみても違和感のないものが多く、軍国主義や極端な国家主義などと言って全面否定するには惜しい物語の宝庫であると話をされています。

 しかし、「修身」はそれほどコワイものなのだろうか。恐らく多くの人は実際の「修身」の教科書さえ見ないままに「修身」教育を恐れているに違いない。実物を覗いてみた人はどのくらいいるだろうか。

 何が「コワイ」のか。アメリカはなぜそこに「コワさ」を感じたのか。
 近現代史ではアメリカ、ソ連、イギリス、フランスなどのヨーロッパが世界地図の中心であり、アジアやアフリカはすべて植民地の時代。極東の端である日本だけが植民地にはならず、国際連盟に唯一有色人種として認められ西洋列強各国と肩を並べていました。
 戦争は良くない行為ではありますが、その中でも秩序を乱すことなく、日本国のために尽くす日本の兵隊さんは、勤勉であり、真面目であり、純粋であり、強い精神力を持つなど、屈強で強靱な精神力を持ち合わせ、戦争における各所で善戦していました。

 結果、大東亜戦争以降、アジア・アフリカの植民地は開放されます。
 その日本の兵隊は皆さん窮地に立たされても屈強で強靱な精神力を発揮し闘い続け欧米各国を苦しめた根底にあるもの・・・大和魂といいいますか、受け継がれてきた日本精神、その源流を「修身」に感じたのかもしれないなと私は考えています。

 80年代のアメリカは当時の日本に学んだが、60年代から70年代のアメリカの様相を呈している今日の日本は、80年代以降のアメリカの教育立て直しの手法に学ぶ必要があるだろう。
 これはアメリカを迂回しながら結局、日本の伝統的な教育の在り方に返ろうということである。

温故知新

 まさしく今、日本人が昔から培ってきた精神文化を見直す時であり、大和魂を呼び起こし、その目に見えない大切な何かを教育の中に取入れ、新しい日本の教育を構築していくことが、未来に希望が溢れ出し、子どもたちが積極的思考で世の中を創造していく社会になるのではないかと思うのです。

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