笹子トンネル 【悲話】

 中央自動車道はよく通る道だ。だからそのニュースを聞いたときは、言いようのないショックを受けた。まさかそんなことが起こるものかと、信じられなかった。


 笹子トンネル天井板崩落事故。


 2012年12月2日午前8時5分ごろに発生。今年で10年になる。もうそんなに経ったのかとおもうほど、この事故の記憶は鮮明に残っている。


 笹子トンネルはとても長いトンネルだ。長い距離をまっすぐに走る。トンネルに入ると、暗がりの中にオレンジ色の照明が等間隔に視界の両端を流れていく。時々、消火器の赤色のライトと非常口の緑色のライト。前方は前を走る車の赤いテールランプ。ミラーには後続車のライトが映り込む。免許取りたての頃は、このトンネルを通るのがちょっと怖かった。なんとなく酔ってくるというか、ゲシュタルト崩壊を起こすというか、長いトンネルだからか、手にじんわり汗をかいてしまうようなそんな感覚があった。今は、別の意味でこのトンネルは。



 その日は、いつにも増してトイレが近かった。高速道路のよいところは、渋滞に巻き込まれない限りトイレへのアクセスがよいところだ。その日は、普段なら寄らないパーキングエリアやらサービスエリアに寄ってはオハナを摘んでいた。


 下りの初狩パーキングエリアも普段なら寄らない所だが、その日は寄った。パーキングエリアやサービスエリアに寄った際にちょっとふらふら歩くなんていうことは普段ならしないのだが、その日は天気がよかったからか、ストレッチがてら少し歩いてみた。歩くと言ってもサービスエリアではなくパーキングエリアだから、そんなに距離はないのだが。


 端のほうまで歩いていくと、山と山の間から富士山がとてもきれいに見えた。こんなところから富士山が見えるのかと、カメラを向けた。




 そして、小さな建物が目に入った。入り口には「ご記帳室」とある。



 中に入ってみると、たくさんの千羽鶴と追悼の碑、芳名帳が二箇所に置いてあった。



 そして、『紫の空』というご本が一冊置いてあった。事故で亡くなられた方のお一人、上田達さんが生前に旅先で撮られたお写真と、お母様のお言葉がつづられている本だった。その場で読ませていただいた。なんと惜しい人が亡くなられてしまったことかと思った。ご遺族のその心のうちを思うと、身につまされる思いがした。


 二度と、こんなことはあってほしくない。

 心から、切に願う。



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