意外性の話

意外性のある生き方が好きだ。それはクリエイティブの本質だ。「物づくり」とは少し違う。物づくりという言葉には、あくまでも実直に真面目に、本来あるべき形を作り上げていくというようなニュアンスを持っている。職人の感覚だ。

 自由や意外性は、社会の文脈に囚われない事を志向するからこそ、逆説的に社会の文脈を必要とする。ホストクラブで働く北大生(僕の友人)、インド哲学やヒッピー思想を愛するIT起業家(よく知らないけど、果物でコンピュータを作った人?)、映画を愛するゲームクリエイター(小島秀夫)。作品だと、キラーメイズ、潜水服は蝶の夢を見る、パイレーツオブカリビアン 、2001年宇宙の旅。こうした人々に出会って胸をときめかせるためには、それを異質なものと認識できるだけの同質性の高い土台が必要だ。北大生の殆どは水商売に関心を持たない真面目な優等生であり、IT業界にいる人の多くはやはり真面目タイプかギークタイプであり、ゲーム業界の多くもやはりギーク的な、あくまでもコンピュータに興味がありプログラムの法則性に美しさを感じるような人が多い。ホラー映画で特殊効果まで段ボールで作られることは珍しく、「病気もの」の映画は平均的にアート性が低く、海賊映画の主人公は芸のないイケメンであり、SF映画はやはりアート性が低いという状況がある事が肝心だ。

 指にハサミを移植することが若者のブームになった世の中では、エドワード・シザーハンズすら注目を集めることが出来ないのだ。

 意外性こそがクリエイティブの本質とはいえ、人々がそれを求めることや、お金になることとは全く話が違う。キラーメイズの興行収入は3.4万ドルだ。スターウォーズ:スカイウォーカーの夜明けは10億ドルだ。人間は社会的な生き物であり、同調や帰属から得られる安心感を求める傾向が高い。エンターテイメントや製品であっても、話題になっているものを自然と求めてしまうことが多い。

 私が昨今の「格差社会」論が苦手なのも、そのナラティブが人々に浸透するお陰で、人生や社会に対する解釈や態度の同質性が高まってしまう事を恐れているからだ。何を今更、とも思ってしまう。貧富の差は昔からあったじゃないか。それを強く意識させる物語が無かっただけだ。

 これからの時代に意外性を求めるにはどうしたらいいのだろうか?もう知っている魅力に何かを足すのではなく、そんな喜びや面白さがあるなんて知らなかった!見たこともない!という発見をしたり、それを他人にもたらすには、何が出来るだろうか?

 意外性を評価する事にだけ使うことができるお金を作ってみるというのはどうだろう?そのお金を、面白い事をした人に支払い、もらった人は換金場所で通常のお金に換えることができる。とか。

 あ、でもこーゆーの既にあるのか。Patreonとかさ。なんだ。あるんじゃん。そ

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