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ジェンダー格差解消には、面倒も引き受ける覚悟が必要だと思う

今日は雨で気温も低くなりました。オフィスは季節の変わり目の寒暖差に細かく対応できないようで、窓開けが感染予防以外にも機能しています。

さて、……

とある方から「紳士的な対応に感謝致します」と言われたことがある。当方は基本的に社会人として当然の「普通」の接し方をしただけだと認識しており、違和感を感じた。

しかるにそのように言われたとなると、いろいろと疑問が湧いてくる。世の中の人はどんだけ傲慢な振る舞いをしているんだろう? ですます調で話すくらいで紳士的なのか? 等々考え出すとキリがない。

基本的に余程親しくなったのであればともかく、まだよく知らないけど仕事で関わる人に対して丁寧な接し方をするのは当然であろう。

ここで、私が気にしすぎかも知れないのだけど、紳士的という言葉そのものも、今の世の中においては若干違和感を感じる。性別を念頭に置いた言葉を用いることそのものが、はばかられるようになってきたからだ。

差別についての意識レベルの高まりは、悪いことではない。この変化に伴って、その流れに合わない言葉は捨てられ、新しい言葉が生まれていくことだろう。

ただ、昨今においては、言葉の使い方について多少気にしすぎではないかと思われる反応をする人は少なくない。

ジェンダー意識がないのはもちろん問題なのだけど、だからといって何でも同じにすることが本当に良いのかについても、議論すべきだと思っている。

もちろん理不尽な差別は論外で、医学部の入試における男性優遇はもってのほか。一般企業では女性の役職への登用も増えており、この動きは更に進める必要がある。

一方で、前々から感じていることだけど、喪主は圧倒的に男性が多い。一人っ子の女性の場合以外で、女性が務めることはかなり少ないと思う。

家制度、家父長制度の打破について、私は賛成する。だからこそ喪主「権」も男性から奪うべきだと思うのだけど、そういう動きがあるとは寡聞にして聞かない。

むしろ、こういう面倒な部分にも手を上げていくことで、社会のジェンダーフリーが進むのではないかと思っている。

「レディースアンドジェントルメン」という英語の呼びかけ。今も使われていることを考えれば、性別そのものの無視を目的としているわけではないことが分かる。

男女それぞれが生きやすい世の中にするために、負うべき義務は負い、求めるべき権利は求める。それをあなた任せにしないことが大切だと考える。

お読み頂き、ありがとうございました。


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