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改めて自著を紹介します(モシュリーマン)

仕事を終えて外に出ると、空気がすっかり冷えていますね。

さて、……

たまたま見かけたハッシュタグに「#私の作品紹介」というのがあったので、これに便乗してw自著を紹介します。

モシュリーマン 喪主サラリーマンの苦闘と発掘

本書は、私の初めての電子書籍出版となります。

4年半前、家族でスキーに行っている最中に父の訃報が飛び込んできました。その瞬間から四十九日法要を営むまでのおよそ50日間のできごとを中心に、小説化して書いたものです。

実はたまたま、この頃に全く別ジャンルの「紙の本」を執筆作業中で、最後の校正作業を行っていたということも、本書執筆の遠因になります。

父を失った喪失感は、それに打ちひしがれるほど大きくはありませんでした。しかし、当時の私の心の中で波紋のように波打ち続けたのも事実。

紙の本が校了(最終チェック終了)した頃、私は四十九日の法要準備をしていました。そしてそれが無事に終わり、直前まで出版作業をしていたことから「何かを書きたい」欲が頭をもたげました。

実際に書き始めたのは、当時取り組んでいた実家等の所有権移転登記や準確定申告の手続を何とか終えた後のこと。父の死後100日が経った頃でした。少し心と時間に余裕ができた時に、着手に至りました。

「忙しい」は、「心を亡くす」と書きます。

それまで手続に追われて忙しくしていたため、心の中の喪失感が紛れていました。それが「今、手が空いている」状態になると、再び大きく心の中で波紋を広げ始めたのです。

だから、執筆に向けて動き始めたのは「何かを書きたい欲」の充足が半分、喪失感の抑制が半分というのが正直なところです。そして、後者にはかなり役立ちました。禅語の「ただ今に生きる」は本当だな、と実感しました。

今の時代はメールやラインでのやり取りが多く、それが残っていました。だから小説執筆の材料には事欠きません。ある読者から「えらくリアルに書かれていますね」とのお言葉を頂きましたが、それはこのような事情によります。

なぜ小説なのか? については、二つの答えがあります。一つは、当時の心情を書き残したかったから。そしてもう一つは、解説本を書ける程深い知識を持っていないから。

小説であればこの二つをクリアできるというのが、私の浅知恵でもあります。

それでも、用語は正確性を期すように努めましたし、当事者として調べることは多々あって、その調査結果? については盛り込むようにしました。更に、自身の失敗についても、率直に記載しています。

忌み事に関わるため、本書の内容を人に大っぴらに聞くことはためらわれます。また当事者の側も、バタバタと時間に追われてそれをこなすだけで精一杯になり、記憶に残りにくいことでもあります。

出産時の「産みの苦しみ」と同様に、葬儀時の「野辺送りの苦しみ」も忘れられがちなもの。それを文字化した点には意味があると自画自賛しています。

まだ親がご存命の方には、いずれ来るその日のために、是非お読み頂ければ幸いです。

お読み頂き、ありがとうございました。

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