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スポーツ礼賛への懐疑

私は、スポーツにまつわる多くの前向きなイメージには、かなり懐疑的である。

スポーツ選手は爽やか、前向き、裏表がない、ストイック……これらは、一般論で語れるものではないだろう。全ては各人の資質によると思っている。

ぶっちゃけ、中高の体育の先生ってそんなに素晴らしい人格者ばかりだっただろうか? それを考えるだけでも、これらの好イメージはやはり幻想だと言える。

逆に、上下関係を絶対視し高圧的で精神論が好きで合理性がなくて……というスポーツにまつわるマイナスイメージは、なかったことにされがち。

そもそも他者に勝つことを至上価値としている人に、謙譲の美徳や互譲の精神等の円満な人格は期待しにくいと思う。そして、それは本来やむなしのことでもある。ただ、なぜかスポーツ選手は人格も優れていることにされてしまう。それはやっぱり変だと思うのだ。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」も、原義とはかけ離れている。この言葉は元々「人は、神に対して『健全なる身体に宿った健全なる精神』が与えられるよう祈るべきだ」と記載されていた。健全な身体は、健全な精神が宿る前提ではなく、むしろ両者は並列に近かったのである。

こんなことを考えたのは、やはりオリンピックにまつわる混乱が終息しない状態に一因がある。オリンピック委員会の元会長だった森さんは、ラガーマンであったけど、職を辞した後も女性蔑視発言が止まらない。

後任の橋本さんも、オリンピアンではあるが後輩スケーターにセクハラを大いに疑われる行為を取り沙汰されている。

それでもなおスポーツ選手への幻想が残っている。私は全く理解できないのだけど、世の中ではそうではないらしい。

やっぱり不思議である。

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