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慶應義塾高校の甲子園優勝に透けるクラス社会化への一抹の不安

今日は朝から何度か襲来する突然の大雨に悩まされました。驟雨(しゅうう)という表現が適切かと思います。あなたが驟雨により想定外の被害を受けていないよう願っています。

さて、……。

今日の14:00から、甲子園球場において慶應義塾と仙台育英の決勝戦が行われた。結果は8対2で慶應義塾の優勝だった。

まずは優勝した慶應義塾高校に、心からお祝いを申し上げたい。そして敗れたものの、仙台育英高校の健闘も讃えたいと思う。

ただ、今回の慶應義塾の優勝について、私の中ではいろいろな思いが交錯しているのも確か。

慶應義塾高校は、私が言うまでもなく日本で私学の雄である慶應義塾の一角を占める名門校である。その卒業生であれば、本人があえて望まないという選択をしない限り、慶應義塾大学に進学できる。

厳密には、成績が悪いと留年、更には退学もあり得る。でも、そこまで成績が劣悪でない限りは、学部については成績によって影響を受けるものの大学には入れると聞いている。

日本において大学は、7帝大、6医校、早慶上理等さまざまなグルーピングがなされる。私が受験生の頃には就職6大学というものがあり、その中の一つに慶應義塾大学は入っていた。就職に強いということであるが、それは今でもそうだろう。

そのような大学への進学がほぼ約束された者が集うチームが、高校野球の頂点に上り詰めたことになる。恵まれた環境の若者が、更に箔を付ける超サクセスストーリーが完成した、と言ったら言い過ぎだろうか。

映画のロッキーではないが「貧乏な若者があらゆる困難に立ち向かい、時に負けそうになりながらもそれに打ち勝ち、最後の勝利を得て栄冠を掴む」という旧来のサクセスストーリーとは明らかに違う。

誤解して欲しくないのは、今回の優勝を貶めるつもりは全くないこと。選手等が努力しなかったはずはないし、頑張ったのも確か。それが結実した今回の優勝は間違いなく輝かしいもの。

ただ、持てる者が更に勝利を得て名声を掴む状況は、今の日本を象徴しているようで、これでいいのかという気持ちが湧いてしまうのも確か。上で書いた「私の中ではいろいろな思いが交錯している」とはこういうこと。

もしかしたら、後の時代になって今回の慶應義塾の優勝が「日本がクラス社会に移行した嚆矢」となるできごとだと認識される可能性があると考える。

クラスというのは日本ではあまり根付いていない概念だけど、欧米ではそれぞれの人が属する階級が決まっており、それに見合った生活を送るものだと思われている。日本も分厚い中間層が崩壊する中で、そうなっていくのではないかと私は考えている。

良し悪しで言えば、私は望ましいとは思っていない。でも、多くの人の生活レベルが切り下がっていく中で、一億総中流が成り立たなくなっていくのを防ぐ術もなく、持てる者と持たざる者に分化していくのはやむを得ないと考えてしまう。

お読み頂き、ありがとうございました。

追記:8月24日6時50分に改題しました。

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