サラリーマンの変態を考える
秋の深まりとともに帰宅の道は日が落ちて暗くなりました。加えて、今日は基本的に一日中気温も低めでした。冬は気間近に迫っていますね。
さて、……。
私の勤務先の会社も、先月末に第二四半期決算を発表した。時間は掛かったものの、私が先月上旬に携わった地道かつ面倒な数値の取りまとめ作業の結果も取り込まれており、少しは社業に貢献できたと思っている。
もちろん、私は社員のone of themに過ぎず、会社の構成員として与えられた職務を遂行したに過ぎない。サラリーマンとはそういうものだと思っている。
このサラリーマン生活であるが、私は残すところ一桁年を切った。役付ではなくなる日はもっと近い。この期間をいかに過ごしその後をどう生きるか。段々現実味を帯びるにつれて、ふと手が空いた時にそのことを考えてしまう。
もしかしたら今回のタイトルを痴漢の話と誤解した人もいると確信するけど、変態とは本来「元の姿から変わった形態」のこと。それが想像を超えるレベルだと「異常な状態」という「誤解の対象的存在」に近くなる。しかし、今回は違う。
サラリーマンは新入社員から始まって主任、係長、課長代理、課長、部次長、部長……と進む。これも変態ではあるが、基本的な要素は大きく変わらない。昆虫になぞらえるなら不完全変態かと。
でもこれは、ゴキブリやコオロギ等、どちらかというと下等な昆虫に多い成長過程。これに対しカブトムシ、蝶や蜂等は幼虫がさなぎを経て全く形の異なる成虫となる。これを完全変態と呼び、こちらの方がより高度な進化をしているとされる。
サラリーマンが役付きでなくなること。これはそれまでの不完全変態ではなく、初めての完全変態だと考えている。それまでの基本的に同じ方向性での成長に過ぎなかったのが、その方向が変わるのだから。少なくとも私はそう捉えている。
まず、若手社員との接し方も大きく変えねばならない。私は元々上から指示するのは性に合わないため、今も基本お願いベースで話している。これは、この変態期においてプラスに作用するだろう。
当然年下の上司に仕えるのも当たり前との意識は必須。卑屈になる必要はないが、昔のやり方に固執したり、その成功体験を長々と得意げに話したりすることは絶対にしないと今から心に誓っている。
若者達は、基本的な企画書も生成AIに頼って作成するのが一般化しつつある。従って、我々の過去の栄光にそれほど魅力はないものと考えるべきだろう。こういうマインドセットも、不完全変態であれば難しい。
ただ、何かで組織に貢献して「この人がいてよかった」と思ってもらえることは社業への貢献と自尊感情の両面で大事だと考えている。このようなこれまで考えなかったタイプの課題への直面も踏まえた完全変態が求められるだろう。
更に会社生活を終える日がやってくる。そうなると、非サラリーマンに完全変態しなければならなくなる。これは役付けでなくなるのよりも更に大きな変化である。
「毎日が日曜日」という大きな環境の変化にも適応し、日々を充実させるというチャレンジングな課題が待つことになる。ここまでくると、完全変態ではなく種を超えた生まれ変わりくらいに受け止めなければならないのかも知れない。
このような未来が近々やってくることを考えると、老け込んではいられない。何があっても前向きに対処していく気構えが何よりも求められることに備えねばなるまい。
お読み頂き、ありがとうございました。