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ジッと現実に身を委ねるのも決して悪くない

今日は朝方雨だったものの、基本的に昼は曇りでした。でも、また夕方になって雨が降ってきて、娘と洗濯物の取り入れで忙しくなりました。

さて、……

先日書いた以下の記事。

夢を追うことについて応援したこの記事は、ひな姫さんから以下の記事の中で紹介された。ありがたいことだと思う。

世の中には、実際夢を追ってがむしゃらに頑張って成功した人がいる。そのことは心から賞賛するし、その努力に深く敬意を表すものである。

そうは言いながら……ではあるのだけど、この年(50代半ば)になって、何とかリストラにも遭わず、定年退職も視野に入ってきた。そうなると、敢えて何か新しいことをやろうという意欲を持ちにくくなるのも事実。

でも、何となくこのままだとつまらないという気持ちも浮かぶ。「何かを始めるなら早い方が良い」という自分の内なる声も聞こえてくる。

この両端に足が掛かった状態で、取り敢えずnoteは2年以上毎日投稿しているというのが私の実態。

世の中には How to があふれている。〇〇で本業の収入を超えた、△△を始めたら月収が××万円に、といったtweetも流れてくる。ただ、そういうものは入り口は無料だけど途中からそうでないものが多い。

せっかくの人生は一度きり、このまま終わってはもったいないと呼びかけられると心が揺らぐけれど、一方でそれは呼びかけ人の宣伝文句であると冷静に考える自分もいる。

「自分への投資」という言葉もあるのだけど、これは自己啓発や資格取得の勧誘等でも聞かれる言葉。投資であるからにはリターンが見込まれるものでなければ意味がない。勧誘者への寄付では意味がない。

不景気の昨今、収入が頭打ちの中で何とか活路を見出したくなる気持ちは理解する。でも、成功者が続々と現れているなら、世の中でそういう声がもっと満ちても良いはず。そうなっていない現実は、直視する必要がある。

ぶっちゃけ、勝ち残った人は少ない。しかも、勧める人はあなたの「投資」を待っているという現実。それを無視してはいけないのではないか。

脇見せず定額一本の妻が勝ち

出典不明

これは、バブル崩壊頃の川柳で、なぜか私の頭に残っているもの。当時「財テク」なる言葉が流行り、資産運用が喧伝されていた。この作者もきっといろいろな投資商品を耳にしてそれなりに勉強し、手を出したと思われる。

これに対し、妻はそういうものには一切手を出さず、堅実な郵便局の定額貯金一本に投資し、結果的に一番儲かったことを表している。このことは、示唆に富むように思っている。

実はここで、お金を稼ぐことが夢なのかという論点がある。

生活苦からの脱却はもちろん、ある程度の生活水準を得たいというのが夢ならば、それは夢たり得ると私も思う。しかし、ただお金を稼げればよい、金額が多い方が良いであるなら、それは夢とは言えないだろう。

得られたお金を使って何がしたいのか、のビジョンを確立すること。それが夢としての要件だろうと私は考える。そういうものがないと、続かないからだ。

もしそれがないならば、無理に夢を追う必要もない。ジッと現実に身を委ねるのも決して悪くない。卑下することなどさらさらないのである。

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