学歴で見られているのは、多分学んだ内容ではない
今日は雨の心配をせずに済みました。昼に外に出ないので、天気予報通りに気温が上がったのかは分かりません。
さて、……
就職活動の時期もほぼ終わりに差し掛かっている。就活では「学歴フィルター」についての議論が付いて回る。
つまり、企業側が応募者の在籍大学によって態度を変えているというもの。分かりやすいのは、例えば企業説明会にエントリーする際に、難関大学であれば「空席あり」状態な一方、そうでない大学であれば「満席」と表示される等である。
この点について「学歴差別だ」と憤るお気持ちは分かる。しかしながら、これは少し違うと考えている。
というのは、個別の大学名に注目しているわけではなく、その大学に入るだけの努力を見ていると理解した方が良いからだ。もっと言えば、努力できる才能と集中力を持っているということである。
このあたりについては、以前に触れた記事がある。
私達は幼い頃から「もっと努力しなさい」「こんな結果に終わったのは、努力が足りないからだ」等と言われてきた。これは、誰もが努力できると「誤解」されているからに他ならない。
この誤解は正す必要がある。努力できるのも才能であり、才能であるがゆえに有無もあれば個人差もある。ぶっちゃけ、努力できるのは持って生まれた天分である。よって、全ての人が等しく努力はできないと考えるべきである。
難関大学に入った人は努力できる才能にあふれた人であり、そういう人を企業が欲しているということである。大学名はその才能の保持を証明できるものとして機能する一方、大学の個性にまで着目されているわけではない、というのが私の考えである。
まして、大学で何を学んだかというのは更に重要度が下がる。いや、学生にとっての本分なのでそれは大事なはずだけど、学んだ内容をそのまま就職先で生かせる機会はそう多くない。
今の日本のシステムでは、結局のところ入社して改めて与えられた業務と課題に取り組むことになる。そうであれば、何を学んだかよりも努力できる才能の方が重要視されるのもやむを得ないのではなかろうか。
もちろん、努力できてもその方向性が間違っている人というのは出てくるし、そういう人を殊更取り上げて叩いて溜飲を下げる風潮もあるのだけど、そういう人はごく一部。大多数は、それなりに成果を上げているのが実態。
持って生まれた能力という、本人にはどうしようもない事由で評価されるのは正直辛いことでもある。でも、手元にあるその他の持って生まれたもので勝負することは可能。そう考えて前向きに生きていくことが大切だと考える。
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